第733回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第732話 海軍兵学校 天長節祝日の事。     2014年2月23日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
  大正10年10月31日の月曜日は、随分と良い、秋晴れで、海軍兵学校では、早朝から、
 
南側の練兵場で、 皇室を敬う行事が行われたのです。
 
 
 
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    天長節【てんちょうせつ】とは、 昭和の戦後で言いますと、天皇誕生日の祝日の事でして、
 
私達が海軍兵学校に在学していた当時の天皇陛下は、 大正天皇で、8月31日 ご誕生でした
 
ので、本当を言うと、8月31日に、行事を行うべきでありますが、 当時は、どういうわけか、2ヶ月
 
後の、10月31日に行事があったのです。
 
  私は、ふと、不思議に思いまして、 周囲に尋ねて見たのですが、 「 8月は、入校式や、
 
 いろんな行事があるので、10月になったとか、暑いから、涼しい秋になった。」とか、 いろんな
 
 お話を聞いたのですが、どれも、推測の域を出ず、 よくわかりません。
 
 
 
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           早朝から、 校長の 千坂 智次郎 海軍中将も参加され、 練兵場で、
 
       3クラス【3学年のこと】の全校生徒が参加して、 天長節の行事が執り行われたのです。
 
 
 
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       私達は、分隊事に、 行進に参加し、 握り小節を肩まで水平にあげて、 足を上げて
 
      規則正しく、行進して、 練兵場に、整列したのでありました。
 
 
 
 
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           3クラスも千人近い生徒が行進して、整列しますと、随分と壮観でありまして、
 
           この大正10年の天長節の行事が、後日から考えますと、1番生徒数が多く、
 
           海軍兵学校が、活気に満ちていた時でした。
 
 
 
 
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         校長の千坂 智次郎 海軍中将の訓示を聞いた後、 宮城【 きゅうじょう 現在の
 
         皇居の事 】の方向に、深々と拝礼しまして、 御写真捧拝式がありました。
 
         末端の生徒の私達は、よく陛下のお写真が、後で見えなかったのですが、 
 
         そんな行事が、続きまして、 海軍兵学校に入校して初めての天長節の行事が無事
 
         に終わったのでした。
 
 
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        しばらくしまして、 私達に、宮内省から、お給金が出るという噂が、広がったのです。
 
       結局は、私達は、いただくことはなかったのですが、高松宮殿下の特別官舎の通称
 
       高松宮御殿の勤務していた人には、 天長節と言うことで、戦後の現在でで言えば
 
       ボーナスが支給されたようです。
 
 
 
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       情報によりますと、 高松宮様のお付き武官殿や、日頃、 殿下に、色々と教鞭をとって
 
       いる 坂部 省三 監事や、 川崎秀治郎 殿部【当時の執事のような役職】や、 日頃
 
       の高松宮様の食事のお世話を申し上げている、野村 勇 主計兵曹や、 有川 太一
 
       主計兵などには、 お金が出たそうで、 そんな噂話を、 周囲の同じ分隊の同期と、
 
       話していたのを記憶しています。
 
 
 
【次回に続く。】