第733回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
大正10年10月31日の月曜日は、随分と良い、秋晴れで、海軍兵学校では、早朝から、
南側の練兵場で、 皇室を敬う行事が行われたのです。
ので、本当を言うと、8月31日に、行事を行うべきでありますが、 当時は、どういうわけか、2ヶ月
後の、10月31日に行事があったのです。
私は、ふと、不思議に思いまして、 周囲に尋ねて見たのですが、 「 8月は、入校式や、
いろんな行事があるので、10月になったとか、暑いから、涼しい秋になった。」とか、 いろんな
お話を聞いたのですが、どれも、推測の域を出ず、 よくわかりません。
早朝から、 校長の 千坂 智次郎 海軍中将も参加され、 練兵場で、
3クラス【3学年のこと】の全校生徒が参加して、 天長節の行事が執り行われたのです。
私達は、分隊事に、 行進に参加し、 握り小節を肩まで水平にあげて、 足を上げて
規則正しく、行進して、 練兵場に、整列したのでありました。
3クラスも千人近い生徒が行進して、整列しますと、随分と壮観でありまして、
この大正10年の天長節の行事が、後日から考えますと、1番生徒数が多く、
海軍兵学校が、活気に満ちていた時でした。
校長の千坂 智次郎 海軍中将の訓示を聞いた後、 宮城【 きゅうじょう 現在の
皇居の事 】の方向に、深々と拝礼しまして、 御写真捧拝式がありました。
末端の生徒の私達は、よく陛下のお写真が、後で見えなかったのですが、
に終わったのでした。