第775回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第774話 海軍兵学校 本省派と艦隊派の事。     2014年4月6日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
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  大正10年11月26日の土曜日、私達海軍兵学校 第51期生徒が、呉鎮守府の見学会を
 
 おこなって、 高い所に登らされて冷や汗をかいていた頃、東京の海軍省と、陸軍省では、
 
 政変といいますか、火山で例えますと、大きな噴火がおきようとしていたのです。
 
 
 
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  【  当時、日本全権代表で、ワシントンに条約交渉で望んでいた、加藤友三郎 海軍大臣
 
 
 
 
  以前紹介しましたが、 日本全権の海軍大臣、加藤 友三郎 海軍大将が、 ワシントンでの
 
 軍縮条約に調印し、 新造艦の戦艦 陸奥の廃艦解体を避けるため、 あの手この手で、
 
 
 
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     【 当時、欧米の陰謀の軍縮条約で、新造戦艦 陸奥が、解体される事になっていた。 】
 
 
 なんとか、日本側の要求を通したので、 戦艦 陸奥は、 スクラップにならずにすんだのですが、
 
 早期にシベリアの占領地からの撤退をアメリカと、イギリスと、フランスなどの西洋諸国と
 
 約束して日本に帰国してきたのでした。
 
 
 
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       アメリカや、イギリス、フランスの首脳は、これで日本が新しい軍艦が造れなくなったと、
 
       安心したようですが、 そのような取り決めをして、戻って来てみると、 総理大臣だった
 
       原 敬 内閣総理大臣は、東京駅で、 暗殺され、 政治基盤の弱い、 高橋 是清
 
       大蔵大臣が、 そのまま、 西園寺侯爵の推挙で、内閣総理大臣になっていて、
 
       随分と、政治情勢が、出発前と、後では、 大きく変わっていたのでした。
 
 
 
 
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   加藤海軍大臣に、山本権兵衛海軍大将が、「 陸奥を残せたのは良かった、ご苦労さん。」
 
と、言って労をねぎらったそうですが、 陸軍に相談なく、 戦艦 陸奥を残す代わりに、シベリア
 
からの早期撤退を約束して帰ったという話が、陸軍省に伝わると、 陸軍の実力者の上原 勇作
 
陸軍元帥が、「 けしからん。」と、立腹し、 政局はどんどん、 おかしな方向に進んでいくのでした。
 
 
 
 
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                  【  当時の陸軍の実力者 上原 勇作 陸軍元帥 】 
 
 
      
   人間がたくさん集まりますと、どうしても、派閥が出来てきます。 海軍では、本省派【ほんしょうは】
 
   という人たちがいまして、当時の海軍を取り仕切っていました、山本権兵衛海軍大将を中心
 
 
 
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        とした、主流派を、 本省派 【ほんしょうは】と、読んでいたのです。
 
        つまり、東京の海軍省を抑えて、 何事も好きなように独占していくことから、
 
        このような名称がついたようです。
 
        
         この人たちと、対立していく人達の派閥を、 艦隊派と呼びまして、つまり、海の
 
         艦艇に追いやられると言いますか、 多くが艦艇にいたために、艦隊派【かんたいは】と、
 
         呼ばれていたようです。
 
 
 
 
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                    【  艦隊派の重鎮 高橋 三吉 海軍大将 】
 
     本省派と艦隊派の争いは、 昭和8年に、本省派を 艦隊派の高橋 三吉 海軍大将
 
     が、本省派を一掃し、 海軍省を抑えてしまうまで、続いていきます。
 
     
 
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     新聞などで、 軍縮条約の内容を知った、造船所、銀行、労働者の代表、製鉄会社などの
 
     業界では、 軍縮条約を実行した場合、 多くの企業倒産が発生し、 労働者が失業し、
 
     銀行が貸したお金を回収出来なくなり、銀行が倒産して、経済恐慌が発生すると、 知り
 
     
 
 
 
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     あいの国会議員や、海軍の高級将校に、 つてをたどって、 あの手この手で、接触し、
 
     この軍縮条約の話をひっくり返えそうとして、大きな政治問題になっていくのです。
 
 
 
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     そして、シベリアに、舞鶴や、小樽から、ウラジオストックに、陸軍の物資を納入していた
 
     財閥は、陸軍がシベリアから撤退してしまうと、その仕事が無くなるわけでして、「 加藤の
 
     どあほが、欧米にへつらい、不届き至極、天誅を加えるべし。」と、 結束して批判を強めて
 
     いくのです。
 
     こういう軍需産業で生計を立てていた人達のことを、軍産複合体 【ぐんさんふくごうたい】
 
     と、呼び表します。
 
     この人達の行動に、 海軍の艦隊派も、合流して、 おおきな政治闘争に発展していくの
 
     でした。
 
             実は、私達も当時は、軍縮条約などけしからんと、考えていたのです。 
 
 
 
【次回に続く。】