第775回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
政変といいますか、火山で例えますと、大きな噴火がおきようとしていたのです。
以前紹介しましたが、 日本全権の海軍大臣、加藤 友三郎 海軍大将が、 ワシントンでの
なんとか、日本側の要求を通したので、 戦艦 陸奥は、 スクラップにならずにすんだのですが、
早期にシベリアの占領地からの撤退をアメリカと、イギリスと、フランスなどの西洋諸国と
約束して日本に帰国してきたのでした。
アメリカや、イギリス、フランスの首脳は、これで日本が新しい軍艦が造れなくなったと、
安心したようですが、 そのような取り決めをして、戻って来てみると、 総理大臣だった
原 敬 内閣総理大臣は、東京駅で、 暗殺され、 政治基盤の弱い、 高橋 是清
大蔵大臣が、 そのまま、 西園寺侯爵の推挙で、内閣総理大臣になっていて、
随分と、政治情勢が、出発前と、後では、 大きく変わっていたのでした。
と、言って労をねぎらったそうですが、 陸軍に相談なく、 戦艦 陸奥を残す代わりに、シベリア
からの早期撤退を約束して帰ったという話が、陸軍省に伝わると、 陸軍の実力者の上原 勇作
陸軍元帥が、「 けしからん。」と、立腹し、 政局はどんどん、 おかしな方向に進んでいくのでした。
【 当時の陸軍の実力者 上原 勇作 陸軍元帥 】
人間がたくさん集まりますと、どうしても、派閥が出来てきます。 海軍では、本省派【ほんしょうは】
という人たちがいまして、当時の海軍を取り仕切っていました、山本権兵衛海軍大将を中心
とした、主流派を、 本省派 【ほんしょうは】と、読んでいたのです。
つまり、東京の海軍省を抑えて、 何事も好きなように独占していくことから、
このような名称がついたようです。
この人たちと、対立していく人達の派閥を、 艦隊派と呼びまして、つまり、海の
艦艇に追いやられると言いますか、 多くが艦艇にいたために、艦隊派【かんたいは】と、
呼ばれていたようです。
【 艦隊派の重鎮 高橋 三吉 海軍大将 】
が、本省派を一掃し、 海軍省を抑えてしまうまで、続いていきます。
新聞などで、 軍縮条約の内容を知った、造船所、銀行、労働者の代表、製鉄会社などの
業界では、 軍縮条約を実行した場合、 多くの企業倒産が発生し、 労働者が失業し、
銀行が貸したお金を回収出来なくなり、銀行が倒産して、経済恐慌が発生すると、 知り
あいの国会議員や、海軍の高級将校に、 つてをたどって、 あの手この手で、接触し、
この軍縮条約の話をひっくり返えそうとして、大きな政治問題になっていくのです。
財閥は、陸軍がシベリアから撤退してしまうと、その仕事が無くなるわけでして、「 加藤の
どあほが、欧米にへつらい、不届き至極、天誅を加えるべし。」と、 結束して批判を強めて
いくのです。
と、呼び表します。
この人達の行動に、 海軍の艦隊派も、合流して、 おおきな政治闘争に発展していくの
でした。
実は、私達も当時は、軍縮条約などけしからんと、考えていたのです。
【次回に続く。】