第776回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第775話  海軍兵学校 生徒削減の話の事。   2014年4月7日 月曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
  大正10年11月26日土曜日、私達は、呉鎮守府の見学会を終えまして、江田島海軍兵学校
 
に、 その日の夕方、帰隊したのでした。
 
 
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    以前紹介したように、源田 實 生徒は、広島県立病院の池の畔のお話で紹介しましたが、
 
   海軍兵学校に入学する前から、これからは航空機の時代だと、私達に語り、 当時から
 
   ちゃんとした、海軍に入ってからの進路の考えを持っていましたが、私はどうかと言いますと、
 
 
 
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   末は、海軍大将になって、連合艦隊司令長官になって、東郷平八郎元帥のように、名を
 
   残すような、立派な軍人になりたい程度で、 兵学校を卒業して、どの分野に進むかという
 
   ことは、まだ当時決まっていなかったというか、1日、1日を過ごすのがやっとで、 考える
 
   余裕がなかったのです。
 
 
   
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      同郷の、一つ年下の、小池 伊逸君は、当時、沈勇士の話を聞いて、 海軍大尉程度で
 
      艦長になれる、潜水艦の部門に進んで、 戦で手柄をたてて、一旗揚げようと考えていたし、
 
      少し私は、遅れていたのですが、 呉の鎮守府を見学し、 戦艦扶桑を見学して、当時、
 
      思ったのは、 海軍の主流のポストを歩いて行こうと思ったのです。
 
      
 
 
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           海軍の主流というのは、戦艦の勤務で、 艦長も、海軍大佐にならないと
 
           なれないポストでしたが、 海軍の大臣経験者、 兵学校の幹部も当時、戦艦
 
           勤務経験者が多かったのです。
 
 
 
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      翌日の日曜日、私達は、先任の 福元 義則 生徒と、後任の 井上 武男生徒と、 
 
      生徒館の南東にあります、 庭園で、将来を語り合っていたのです。
 
      現在はどうかわかりませんが、 私達が在学していた当時、 小さな池がありまして、
 
      庭園のような場所があったのです。
 
 
 
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            3人とも、 2日続けて、戦艦 摂津と、扶桑に乗艦して、 頭の中には、
 
          バトルシップこと、戦艦のことしか、考えられないようになっていたのでした。
 
 
 
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           男の鏡、 鉄の城の主になってみたいと、3人とも、「 しびれたがなーー。」と
 
           戦艦の夢に酔っていたのでした。
 
 
           そこに、私と同い年の一つクラス上の、同じ分隊の先輩の有泉龍之介生徒が
 
           近づいてきまして、「 武男、こんなところで、脳天気に、なにしとるっぺ。」と、
 
           厳しい顔をして、井上 武男君をしかりつけたのです。
 
 
 
 
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           有泉龍之介生徒は、以前紹介したように、 その後、海軍大学35期を首席で
 
          卒業し、 有名な、真珠湾攻撃の特殊潜行艇作戦を立案し、 伊400、伊401
 
           の2隻を率いて、 出撃して名前を歴史に残すことになるのですが、 当時は、
 
           茨城県の同郷の、井上君の事を、心配して随分と日常指導していたのです。
 
           「 本日聞いたのだが、12月に、学力考査があって、軍縮で、海軍将校が不要
 
           になったとかで、 貴様ら、52期の生徒の成績の低い順に生徒を、クビにする
 
           とか、そういう話をきいたっぺや。」と、言うので、 それを聞いていた、福元 義則
 
           生徒が、目を丸くして、「 ほんまでごあすか。」と、聞き直し、 私も、「1度入学を
 
           許可したものを、そな、アホな。」と、 問い直したのです。 
 
 
 
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         有泉生徒が、「 武男、 急いで勉強せんと、こんなところで、ぽけーーとしとると
 
         クビになる生徒の中にはいるだっぺ。」と言うので、私達は、途方に暮れるのでした。
 
         遠くワシントンで取り決められた軍縮条約は、建造中の、戦艦 赤城、 加賀、天城
 
         その他の建造事業を中止に追い込み、 それに乗り込む予定であった、海軍将校も
 
         水兵も不要の物になり、 海軍兵学校にも、人員整理の波が襲ってくるのでした。
         
 
 
 
【次回に続く。】