第776回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第775話 海軍兵学校 生徒削減の話の事。 2014年4月7日 月曜日の投稿です。
に、 その日の夕方、帰隊したのでした。
以前紹介したように、源田 實 生徒は、広島県立病院の池の畔のお話で紹介しましたが、
海軍兵学校に入学する前から、これからは航空機の時代だと、私達に語り、 当時から
ちゃんとした、海軍に入ってからの進路の考えを持っていましたが、私はどうかと言いますと、
残すような、立派な軍人になりたい程度で、 兵学校を卒業して、どの分野に進むかという
ことは、まだ当時決まっていなかったというか、1日、1日を過ごすのがやっとで、 考える
余裕がなかったのです。
同郷の、一つ年下の、小池 伊逸君は、当時、沈勇士の話を聞いて、 海軍大尉程度で
艦長になれる、潜水艦の部門に進んで、 戦で手柄をたてて、一旗揚げようと考えていたし、
少し私は、遅れていたのですが、 呉の鎮守府を見学し、 戦艦扶桑を見学して、当時、
思ったのは、 海軍の主流のポストを歩いて行こうと思ったのです。
海軍の主流というのは、戦艦の勤務で、 艦長も、海軍大佐にならないと
なれないポストでしたが、 海軍の大臣経験者、 兵学校の幹部も当時、戦艦
勤務経験者が多かったのです。
翌日の日曜日、私達は、先任の 福元 義則 生徒と、後任の 井上 武男生徒と、
生徒館の南東にあります、 庭園で、将来を語り合っていたのです。
現在はどうかわかりませんが、 私達が在学していた当時、 小さな池がありまして、
庭園のような場所があったのです。
3人とも、 2日続けて、戦艦 摂津と、扶桑に乗艦して、 頭の中には、
バトルシップこと、戦艦のことしか、考えられないようになっていたのでした。
男の鏡、 鉄の城の主になってみたいと、3人とも、「 しびれたがなーー。」と
戦艦の夢に酔っていたのでした。
そこに、私と同い年の一つクラス上の、同じ分隊の先輩の有泉龍之介生徒が
近づいてきまして、「 武男、こんなところで、脳天気に、なにしとるっぺ。」と、
厳しい顔をして、井上 武男君をしかりつけたのです。
有泉龍之介生徒は、以前紹介したように、 その後、海軍大学35期を首席で
卒業し、 有名な、真珠湾攻撃の特殊潜行艇作戦を立案し、 伊400、伊401
の2隻を率いて、 出撃して名前を歴史に残すことになるのですが、 当時は、
茨城県の同郷の、井上君の事を、心配して随分と日常指導していたのです。
「 本日聞いたのだが、12月に、学力考査があって、軍縮で、海軍将校が不要
になったとかで、 貴様ら、52期の生徒の成績の低い順に生徒を、クビにする
とか、そういう話をきいたっぺや。」と、言うので、 それを聞いていた、福元 義則
生徒が、目を丸くして、「 ほんまでごあすか。」と、聞き直し、 私も、「1度入学を
許可したものを、そな、アホな。」と、 問い直したのです。