第668回  大統領の苦渋の決断。

みなさん、こんばんは、模型公園です。          2013年9月12日 木曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
  今日、僕が、ニューヨークの社長さんの記事を見ていたら、現地では9月11日で、市全体が、
 
 静かに、平和を望んで、色々な追悼行事が行われているそうです。
 
 
 
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      そういうわけで、ほくも、この出来事のことを勉強して、みなさんに紹介したいと思います。
 
 
       現地時間の2001年9月11日 早朝、   ちょうど、日本では夜の22時30分頃でした
 
       
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      当時、テレビ朝日ニュースステーションという、番組がありまして、 ここのニュースが、
 
      日本で1番速く、事件を伝えたようです。
 
 
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       まっ、もっとも当時、 「ニューヨークで、なにがあったのか、わからないですが、航空機が
 
       ビルにぶつかる映像と、ニュースが入ってきました。」 「 どうなっているのですかねーー。」
 
 
 
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       そのような内容でした。 そして、番組の終わり頃、 22 時50分頃でしたか、 「 また、
 
       映像が入ってきました。こんどは、2機目が、ビルにぶつかりました。」  「いったい、
 
       ニューヨークで、何が起きているのでしょうか。とんでもないことが起こっているようです。」
 
       「 みなさん、放送終了時刻になりました。続きは、明日、放送させていただきます。」と、
 
       こんな、報道でした。
 
 
        番組が終わって、今度は、 別の番組に切り替えると、 「今度は、ワシントンの
 
      国防総省に、旅客機が、激突した模様です。」 と、 放送がありました。
 
 
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         当時、ブッシュ大統領のジュニアは、 小学校に慈善訪問の最中で、 生徒と楽しく
 
         談笑していたのですが、 小さな紙切れを受取り、信じられないような、顔をした後
 
         周囲の子供のことを気遣い、作り笑いをしていた様子が、テレビで紹介されました。
 
 
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          この事件、 さらに、もう1機 旅客機が、ワシントンに向かっているとの情報が
 
          入り、 ホワイトハウスの副大統領などは、ヘリで避難を開始します。
 
 
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           機内のお客から携帯電話で、ハイジャックされて、 パイロットが殺害され、
    
           操縦席が乗っ取られたと、通報があり、  情報は、大統領に伝えられたようです。
 
 
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          ニューヨークでは、 ビルが次々倒壊して、 救助に入っていた、警察、消防士が、
 
          全滅してしまいます。そして、非難の最中の人々の上に、瓦礫が落下して、
 
          周囲は、白い煙が充満し、 とんでもない状態になっていきます。
 
 
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       スクランブル発進した、空軍機から、あと、20分程度で、ワシントンの市街地に、
 
       ハイジャック機が、到達すると、報告があり、 大統領は、決断を求められたのです。
 
 
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 「 この先の出来事は、 国会議事堂に突っ込むか、 ホワイトハウスに突っ込むでしょう。」
 
 「 そうした場合、 さらにおびただしい、死傷者が出ます。」と、こんな意見具申だったそうです。
 
 
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         大統領は、乗客のことも考えたと思います。「なにかよい方法は無いかと。」
 
 
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         そして、なるべく市街地を避けて、 ハイジャック機を撃墜するよう命令したのです。
 
 
 
 
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    このような、離陸間際で、航空燃料を満載した状態で、飛行機を乗っ取り、 組織的に、
 
    アメリカの重要拠点に体当たりして、 肉弾となって、果てる。
 
    だれが作戦を立案したのかは、 わからないですが、 当時だれも想像をしていませんでした。
 
    後日、 イスラム原理主義者のテロと言う事になっていますが、本当の真実は、よくわかって
 
    いません、
 
    ただ、 はっきりしているのは、3000人以上の人が、犠牲になり、数万人の家族が、悲しい
 
    結末を迎えました。
 
    ハイジャック機の撃墜命令は、 トップシークレットとなり、世論操作をして、 単独で墜落した
 
    事になっています。
 
    関係者は、 一生この事件を背負って、墓場まで持っていくでしょう。
 
    ただし、 非情の決断でしたが、 これ以上、死者を出さないための勇気のある決断だったと、
 
    思います。
 
 
 
 
 
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     どのような宗教でも、 人々の生活の心の支えであるべきで、 人殺しを正当化したり、
 
     人々を宗教で支配したり、 ましてや、何も罪のない、関係ない人に危害を与えることなど、
 
     許される事だとは思えません。
 
 
     そして、「アラーの指示であったとか。」 イスラムの神を利用しようなどと、愚かな事です。
 
 
 
     日本でも、オウム真理教事件などがありましたが、 まったく、他人事でなく、 我が国でも
 
     同様な事が、7年後世界が注目する、 東京オリンピックで、計画されるかもしれません。
 
 
     みなさんご存じないと思いますが、我が国では、中国、北朝鮮大韓民国、ロシアなどの
 
     スパイ組織が、根を張っており、 取り締まる法律が整備されていないので、野放し
 
     の状態なのです。
 
     こう言うテロを、未然に防ぐには、 内偵捜査が、重要と考えますが、 我が国は、もう少し、
 
     公安調査庁、 外事警察の人員を増員して、 対応する必要があると思います。
 
 
 
 
 
 
 
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               今日は、この豆腐が、半額でしたので、買ってきました。
 
 
 
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                    今日は、久々に、カツオのたたきを、切りました。
 
 
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                   織部焼のまな板皿が、一杯になってしまいました。
 
 
 
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               じゃーーん、 今日のカツオのたたき定食の出来上がりです。
 
 
       
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           模型公園は、ネコ科なので、豆腐の上には、鰹節を、パラパラと、
 
 
 
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                              では、早速、いただいてみましょう
 
 
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                       今日は、酢醤油で、つけていただきました。
 
 
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                    こうして、ご飯の上を転がして、いただきます。♪
 
 
 
 
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                       今日は、食後を冷たい牛乳をいただきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
                         今日の模型の完成品の紹介です。
 
 
 
 
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               ドイツ4号駆逐戦車 ラング  2013年 9月12日木曜日 完成就役。
 
 
 
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             ドイツのヒットラー総統は、 1年すると旧式化していく戦車を、鉄道で
 
          本国に持ち帰り、威力不足の砲を外して、砲塔をなくして、 大型の貫通力に
 
          優れた大砲を取り付けた、突撃砲戦車を、改装して、前線に送っていたのです、
 
         これらは、当時、ドイツ独自の戦車スタイルで、 歩兵の支援戦車として、
 
         随分と活躍したのです。
 
         
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           1943年8月19日 ベルリンの会議で、クルスクの戦車戦の報告がされると、
 
            ヒットラーは、新車状態での突撃砲の生産開始を決定します。
 
          これは、砲塔がないので、 工期が短縮されるのと、 車体のサイズより、
 
          強力な火砲が、搭載できるメリットがあるからでした。
 
 
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      ソビエトでは、前線で、これらの兵器を見て、すぐ、まねをして、SUシリーズという、
 
      襲撃戦車という分類を作っていくのですが、 又後日紹介します。
 
 
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      この戦車は、4号戦車の車体を使用して、 敵から発見されにくいように、わざと、車高
 
      を低くして、 周囲の装甲板を、斜めに傾斜させて、 通常の4号戦車より、装甲厚を
 
      厚くして、8センチにしてあります。
 
 
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       日本では当時、まだ、馬や、トラクターで、大砲を運搬していたのですが、 戦車の
 
        車体に、対戦車砲を搭載して、自走方式にする、 これは、ドイツ陸軍から始まって
 
        いきました。
 
        このような戦車の後部に、歩兵を乗せて移動したり、 草むらに隠れて、敵を砲撃したり
 
        随分と活躍し、 戦後は、この戦車の外観は、90ミリ砲を搭載した、カノン という、
 
        西ドイツの戦車に引き継がれていくのでした。
 
 
 
 
それではみなさん、よい木曜日の夜をお過ごしください。               ギッチョンパー♪