第818回 魯山人風 幽庵小ダイ姿焼きを勉強する。模型公園風
みなさん、こんにちは、模型公園です。 2014年2月9日 日曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは、晴天ですが、昨日、日中溶けた雪が、朝方
凍結して、路面がツルツルです。
屋根からも、降った雪が、すべって落ちてきて、怖いですね。
今日も、「 粗末な材料は、粗末な材料を生かすように、 良い材料は、良い材料
を殺さぬように、 美味しい料理は、暮らしを明るく楽しくします。」の精神で、勉強
して見ようと思います。
今日勉強するのは、「 魯山人風 小鯛の幽庵姿焼き。」というのを、試作します。
実は、北大路 魯山人 【きたおうじ、ろさんじん】こと、福田 房次郎さんは、京都で、
看板屋をしていたのですが、 商売がうまくいかず、お金に困り、お金がないと、家の
中がうまくいかず、はじめの奥さんと離婚して、印屋に転業するのですが、なかなか、
よい てん書の字が思う様に刻めず、 意を決して、名前を福田 大観 と改名し、
いる文字や
古い印を見て回り、ついでに、色々食べ歩いたようで、日本の明石の鯛も良いが、
朝鮮半島の鯛もなかなかうまい物だと、紹介した文章が残っています。
そのまま、中国に行って、中国の篆刻を勉強する傍ら、中華料理の勉強をされた
ようです。
今日勉強する、鯛の料理の素材は、少し小さめのタイを使用します。
大きなイノシシの肉で、失敗したというお話を紹介しましたが、何事も、大きな物は、
味が大味になって良くないそうで小さい方が味が微妙に良いのだそうです。
今日も、背中から、包丁で、切れ目を入れておきます。 うろこを取って、内臓も
取り除いて、処理します。
みなさんの家の近くは、どんなお値段かは知らないのですが、写真の小鯛1尾
僕の家の近くでは、250円程度から350円程度です。
写真の鯛は、2尾で500円で買った物の、1尾です。
どのような入れ物でも良いのですが、魚が入る程度の入れ物に、お米から作った、
お酒を50パーセント、 濃い口醤油を30パーセント、 お味噌を20パーセント
いれてね、かき混ぜます、 今の時期、すこし暖めて撹拌した方が、良く混ざる
ようです。
そして、混ぜたら、冷たくなるまで、冷まします。
あとはね、こんな感じで、鯛をつけておきます。 最低15分、 通常30分程度です。
そして、この汁をつけつけ、焼くわけです。
今日の食器は、なににしようかしらんと、思いをめぐらし、こんな感じにしてみました。
昨日ね、大仏様、お客さんと、かっぱ寿司に行ったらしくて、お土産がこのナスです。
しいです。
値段は、283円と、 まずまずのお値段です。
中には、二つなすびの漬け物が入っています。 そのうち、一つを
スライスしてみました。
とってもきれいな、紫色ですね。
いつもの煮物のお鍋から、カブの姿煮、 牛すじなどを、お皿に取りました。
お酒と醤油とみそを混ぜた物で焼くと、表面が黒くなるのですが、中は
ちょうど良さそうです。
じゃーーん、今日の小鯛の幽庵姿焼き定食の出来上がりです。
こういう風に、背骨に添って、包丁を入れておきますと、身をとるのが大変楽です。
まずは、いつも通り、半身の部分で、お茶漬けを楽しみます。
豊松村の美味しいご飯の上に、鯛の身を載せて、上から熱々のお茶を
かけるのです。 お酒と、醤油、お味噌の汁が、お茶碗の中に広がって、
美味しいはずです。
うーーん、とっても美味しいですね。
どれどけ、早速、かっぱ寿司のなすびの漬け物をいただきます。
どんな味かというと、 ナスを食べたら、ピリリと、程よいカラシの味がして、
お茶漬けなどに合うようです。
程よい辛さなので、 次々食べても、ちょうど良いですね。
お茶漬けが、すんだら、今日は、レモンをかけて、いただきます。
なかなか、醤油と、お酒と、味噌の香りがして、美味しかったです。
お味噌を入れすぎると、塩辛くなり、 醤油を入れすぎると、醤油辛くなり、
食べる人の好みもあるのですが、 各家庭で、 お酒と、濃口醤油と、お味噌の
分量を調整して見ていただけたらと思います。
今日は、 文章に載っている配合で、そのまま実験して見て、薄味の僕がちょうど
良いと言うことは、辛い物好きな人には、味が薄いかも知れません。
カブの姿煮も、 柔らかく仕上がっていて、とっても美味しいですね。
本日は、原価450円程度、 作業時間40分程度の素人料理の紹介でした。
今日も、魯山人風の【ふく】の文字入り茶碗で、お茶をいただきました。
美味しい食事でした。♪
今日の模型公園の所有の古写真を鑑賞するコーナーです。
します。
右部のアップで、少しわかりにくいですが、 四番 五番 六番 射場で、伏せ撃ち
をしているのが見て取れます。 事故防止の為、右に立っている人が、 薬室に
弾薬が装填されている
と旗を揚げ、 相図をして、後の人が、弾薬を何発使用したか、記帳し、 薬莢の
数と合わせて
当時は、厳重な弾薬管理がされていたようです。
さらに、拡大すると、 どうやら、陸軍兵士ではなく、伊里の中学で、軍事教練
で、射撃の実習をしているように感じられます。 制服が、学生服のように見受け
られます。
左の拡大ですが、三脚に拡大望遠鏡を取り付けて机を並べて、集計しているのが
わかります。
陸軍の射撃場があったと、資料にあり、 伊里から軍事教練で出向いて、授業の
最中の写真かも知れません。
又、正規の歩兵部隊ですと、こんなに、バラバラに整列していると、 ビンタもので、
なにやら、まとまりのないような、整列状態に感じられました。
今日は、約80年前の古写真の紹介でした。
それではみなさん、良い日曜日の午後をお過ごしください。