第1545回  永田町2丁目の風  地震防災の重要教訓について

みなさん、おはようございます、模型公園です。    2015年6月7日 日曜日2回目の投稿です。







                           永田町2丁目の風    




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     この永田町2丁目の風のコーナーは、僕の考えを簡潔にみなさんにお伝えするコーナーです。

     みなさん、日曜日に多忙と思いますが、国民の一人として考えていただけたらと思います。





             今日のお話は、「 地震防災の重要教訓について。」 というお話です。




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          最近、日本列島では火山が噴火したり、地震が発生し、関東地方の首都圏では

          山手線が止まったりと、多くの人々に影響が出ています。

          数日前も、北海道の釧路で震度5地震がありました。

          不安を煽るわけではないですが、 近いうちに大きな地震があって、津波や、崖崩れ

          多くの被害が発生するような、そういう予感がします。

          1923年から、 今年までの地震災害の現象を分析してみると、どの地震




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        同じような現象が起きて、被害の状況が酷似していることに気がつきます。

        つまり、近年発生した、 東北地方の大震災とか、関西大震災とか、被害の顛末が

        共通しているのです。


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        1923年の関東大震災の 当時の人の証言と、 関西大震災の人達の証言は

        地上の建物の被害については共通しているところが多く、 又、 海上からの

        津波の証言などは、東北地方の 東日本大震災と被害に至る顛末がよく似ています。





        「 生死を分けたのは、2階に寝ていた人は生き残り、 1階に寝ていた人は死んだ。」







        神戸や、西宮の人に出かけていって、当時の状況を聞いてみると、 生死を分けたのは

        どこに寝ていたかと言うことであったそうです。




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       関東大震災の時も同様であったのですが、 1階が潰れ、2階が乗っかったような


       そう言う光景が広がっていたそうです。

       1階で寝ていた人は、押しつぶされ圧死したり、 閉じ込められて 下敷きとなり、

       後の火災で生きたまま焼死したのです。





                      西宮、尼ヶ崎、神戸の人曰く、


                 「 寝るときは、2階で寝るように心がける。」


                  こう言う事が 非常に大切な言葉のようです。


 

               「 2階の窓際に、 人数分の予備の靴を置いて寝るようにする。」





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            突然大きな地震が来て、 このような状態に我が家がなった場合、

           当然、玄関が潰れてしまい、靴も取りに行けません。



            関西大震災の時に、人々が口をそろえて証言されるのが、靴が無いので

           1月の寒い中、はだしで瓦礫の中を避難することになり、大変な思いをした

           という、苦労話でした。

            冷たい、1月の外をはだしで多くの人が避難することになっていったのです。

            靴下をはいていた人も、すぐに破れてしまったそうです。




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          そして、  「  2階に 救助用の道具を揃えて すぐ使えるように準備しておく。」


 
          と言う事です。

          地震があると、絶対火災が起きて、閉じ込められた人を襲うことになります。

          30分から1時間が 避難する与えられた時間のようです。

          もし、 閉じ込められた人がいたとしたら、 ご近所で協力して救助活動をする場合

          素手では限界があります。

          当然、関西大震災のような都市型直下地震では、 警察や消防も機能しなくなり

          頼れるのは、ご近所と言う事になります。



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        西宮の人に聞くと、 地震があったその時、 電信柱が揺れて、 電線が切れて

        火花を吹き、 大型トラックが止めてあった、運送屋の駐車場では、地震の揺れに

        連動して、 大型トラックが勝手に横に移動して、 トラックとトラックが無人のまま

        ぶつかり、 プロパンガスのボンベの栓が切れて、 ガスが吹いたり、 引火して

        爆発したりと、 一瞬でいろんな事が同時に発生していったようです。



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             そして、同時に数十カ所で火の手が上がり、どんどん燃え広がり、手のつけようが

           無かったようです。

           消防車が1台到着したのですが、 消火栓から水が出なくて、 何も出来ない状況

           であったそうです。

           そして、建物に挟まれていた人は、 生きたまま 焼死することになっていったのです。




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          これらの証言は、関東大震災の時の証言とよく似ていて、 政府はね、これらの

         貴重な証言をまとめてわかりやすくして、 国民に広報して行くとともに、 文部科学省

         もね、 費用をかけないように、 教師にこれらの事を口頭でも良いので、わかりやすく

         伝えて、防災の授業に生かして、 過去の歴史の出来事を 未来に生かしていく事を

         推進して行くべきだと思うし、 歴史の授業というのは、人名や、年号を暗記して、

         それがテストの点数につながっていくという風潮を改める必要があると思う。

         過去の出来事を考えて、考察して、未来に生かしていく、 こういう授業スタイルに

         時間がかかっても、 少しずつ変えていかないと、日本人の物の考える能力が

         低下していくと僕は思うね。 


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                      「  寝る時は、2階で寝る。」


            「 予備の靴、 救助道具、 とりあえずの食糧などを2階の窓の近くに置いておく。」


            「 火や、電気、 プロパンガスなどをすぐに、止める。」


          
            こう言う事を、 覚えて今すぐ実行していただけたらと思います。



            【 来週に続く。】【無断転載コピー可】