第1719回  永田町2丁目の風 平和外交を考える。

みなさん おはようございます。 2015年8月9日 日曜日の2回目の投稿です。






                    【 永田町2丁目の風 】



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       この永田町2丁目の風のコーナーは、僕の考えを簡潔にお伝えする

      コーナーです。

       みなさん、 日曜日にお忙しいと思いますが、国民の一人として考えて

       いただけたらと思います。




            今日のお話は、「  平和外交を考える。」 です。




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     僕が生まれたのは、以前紹介したのですが、広島県という場所です。

     ここの、県庁所在地の広島市は、原子爆弾が落とされて多くの人が亡くなり

     その後、 人生が曲がってしまい、 多くの人が後遺症に苦しみ、周囲の

      人から、 就職や、結婚やいろんな事で、「 ピカッの患者。」と差別され

     苦しんだ地域です。

     広島県では、 小学校低学年から授業で、先生にこれらの過去の事実と、

     「自衛隊などを廃止し、兵器を廃棄し、 平和国家になって、戦争がない

      平和な国にしなければならない。」と、 毎年 教えを受けてきました。

      僕もその生徒の一人なわけです。



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         小学校一年生の幼少の頃、 広島市に バスをチャーターして、

         平和学習に行ったのですが、 そこで恐ろしい物を見て、 当分

         ショックを受けて よく寝れませんでした。


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        というのは、熱線で顔の皮膚がとけて、 目も鼻も溶けて、顔が

        無くなった 女の人の写真や、 いろんな写真を見て、 ホルマリン

        漬けになった、人間の肉などを身近に見て、 多くの友達も、気分が

        悪くなったとか、 大変な騒ぎになったのを記憶しています。



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        僕は、 怖かった と言うのが正直な気持ちでした。

        小学校では、 はだしのゲンとか、ガラスのウサギとかの映画を

        見る授業があって、 戦争という悲惨な出来事の一端を知ることに

        なりました。


         それから、現在に至り、 教科書に出ていない事実や、歴史を

        自ら勉強することになり、 現在の心境というのは、 学校の平和

        教育というのは、間違いではないのですが少しおかしいと思う様

        になっていったのです。



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     小説家の 早乙女 貢 先生が、「 広島の人は、「原爆、原爆、平和。」

     と連呼しているが、 東京都の自分から見ると、おかしい。」と言われる

     わけです。

      「 東京だって、空襲で10万人以上 黒こげになって多くの人が亡く

       なっていて、 全国各地、 大変たくさんの人が 黒こげになって

       お亡くなりになっている、 どうして 特別扱いするのか。」 と、

      話があり、 当時は 考えがはっきりせず、 静かに早乙女先生の

      お話を聞いていて、反論などしなかったのです。



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         その頃、 早乙女先生から、「 広島の人は、原子爆弾と平和を

         利用して 商売をしている。」 と お話があり、 数年後、自ら

         広島市を訪ねてみると、 そう言われても仕方がない一面が

         あると思いました。


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         歴代の 広島市長は、 核実験があると、 厳重抗議の電報を

         アメリカや ソビエト、中国、フランス、イギリスなどに送って来たの

         ですが、ほとんど無視されて、返事はないそうです。



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      ここ数年研究していると、 原子爆弾で負傷し、 わらでもつかむ思いで

      宇品の病院にたどり着いた負傷者に対して、 アメリカから、 缶詰や

       金銭を受け取って、 患者に治療を行わず、 データーを採って

      死亡したら、 遺体を解剖して、 報告書を作って アメリカに売り渡して

      いた一団が、戦後の混乱期存在していた事を知りました。



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      東京帝国大学 教授 都築 正男 という人物のグループと、陸軍の

      小出 陸軍中佐の グループですが、 被爆者は放置され、寝かされて

      治療もされず、 解剖されるのを待っていた そういう事があったようです。

      国は、もう少し詳しく これらの事を調査して、 当然 関係者は死んで

      いるでしょうが、 こう言う事を世間に紹介し、 同じ日本人が、広島の

      人々に行った事を検証して、同じような事にならないよう対策を考える

      必要があると思います。



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     原子爆弾が炸裂して、 70年になりますが、国内で゛「 平和。」 を

     唱えても、何も変わらないと考えるようになりました。



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     国民の中で、 戦争被害が風化しないようにするという点では、効果が

     あると思いますが、 今住んでいる国 日本を、 また同じようにしないように

     するにはどうしたら良いかーーーー。 みなさん考えて見ていただけたら

     と思います。


        それはなにかというと、 50パーセントは、 平和外交、 50パーセント

      は 必要最低限身を守る、武力の抑止力と言う事だと 最近悟りました。



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       過去の世界史を考えると、 武力の抑止力がない者が、外交を行っても

       相手にされないわけです。

       日本人は、考えないといけないのが、 アメリカや、中国、 ロシアが

       ボタンを押すと、20分後に 水爆が飛んできて、日本は廃虚になる

       という事を よく覚えておかないといけません。

       70年間に、こう言う悲惨な事にならなかったのは、アメリカに基地を

       作らせて、 傀儡政権のような形で、 アメリカの核兵器の傘の



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         下に入っていたからと言う事は、 疑いようのない事実なわけで、

         まだ勉強中で、 よくわからないところが多いのですが、今後

         この国が 焼け野原にならないようにするにはどうしたら良いか、

         どうしたら、安心して暮らしていける国土になるのか、 学校の

         日教組の教職員が言うように、武力を廃棄して、非武装となり、

         「 平和、平和。」 と叫んでいくだけで、 国土の安寧が保てる

         のか、 大変難しい問題です。



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         横田 めぐみさんの様な、 被害者がこれから出たらどうするのか、

         外国に占領されて、この国から、ユダヤ人のように 追い出されて

         迫害を受けたらどうするのか、 ウクライナの人のように、

         ロシア人が攻めてきて、「 土地、農作物は共産党の所有物である

         、全部モスクワに運ぶ。」 と言って 土地を取られ、条件のよい

         場所はロシア人が入植してきて、 元から住んでいた人は、シベリアに

         開墾に送り込まれ、家も農地もロシア人に取られたらどうしていくのか、

         大変難しい問題だと思います。




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          学校の教員も、ここ数年見つめていると、勉強やテストの問題を

         解くのは上手で優れているのですが、 日本の国の安全と平和が

         どのような方法で保たれているのか、 知っている人が少ないと

         いうか、 自ら勉強して生徒の前で語ろうという教師が皆無な

         状態です。


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         文部科学省も、 どういう日々の努力がされて 平和が保たれて

        いるか、 教職員を指導、教育していくことが大切で、このことが

        日本の平和の維持に大切な事だと、 最近考えるようになりました。

        今の日本には、欠けている大切な事だと思います。 



         みなさんも、 よかったら、 少し考えて見ていただけたらと

         思います。


 
         【 明日に続く。】【 無断コピー転載可】