第1288回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1287話  共産党にだまされた人達の事。  2015年9月10日木曜日の投稿です。




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     1917年 レーニン共産党の宣伝信じて、武装蜂起した 貧困にあえぐ

     人達は、レーニンの派遣してきた 共産党員と一緒に、地主や、 役場、

     教会を破壊し、 商店を襲い、 焼き討ちして、 次々、ロシア式の斧による

     処刑方法で、彼等や、その家族を殺害していったのです。


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        それを見ていた他の人々は、 全財産を捨てて、 逃げ出しておけば

        よかったのですが、人間、 先祖伝来の住み慣れた土地を離れる事は

        抵抗がある人がほとんどで、 その後の危難に襲われていったのです。


        「 皇帝も、貴族も、教会も、 地主も、商人もいない、みんな平等の

         労働者の国を作りましょう。」  という スローガンを信じて、武装蜂起

        に参加したのですが、 参加した人も、 早い人で 半年後、遅い人で、

        1年程度すると、自分達が共産党にだまされた事を悟って行ったのです。



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      ロシアの皇帝や、貴族、 ロシア正教会の神父や、地主は、年貢と

      称して、 出来高の 半分程度を強引に持っていく程度だったのですが、

      共産党員が来て、 自分の畑を、「共産党の物だ。」 自分の住んで

      いる家 を 「 これも共産党の物だ。」 それから、栽培した作物も

      なんと全部、「 共産党の物だ。」 と言って、 強引に持って行ってしまった

      のです。


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         その家にある、めぼしい財産を見つけると、「 全ては共産党

         物だ。」と、 叫んで、 強奪していったのです。

        反攻すると、 「 資本主義者。」 と 叫んで、殺されていったのです。




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       そして、 騒動に火をつけたのが、 農民が大切にしている、馬や、牛

       などの家畜も、 「 共産党の物だ。」 と言って、持ち去っていったのです。 



       共産党員の話は、 1度生産物は 共産党が一カ所に集めて、その後、

       みんなに平等に配給される という話であったのですが、 物流の

       しっかりしていない当時、 みんなに それが配られず、 当時レーニン

       が革命戦争と呼んでいた、 資本主義者を一掃する戦争に物資が

       使われていったのです。

       


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       当時、豊作でも、 共産党が全てを持って行ってしまい、 配給がない

       ので、人々は 以前より貧しい、 飢えと病気に苦しむようになっていった

       のです。

       そして、 人々は、 食糧を隠しだしたのです。

       自分の家族が食べていくものを 土の中に隠したり、あの手この手で、

       人知れずに隠すようになっていったのです。



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       すると、 共産党の軍隊 赤軍が村にやってきて、 密告を奨励し、

       家屋の強制捜索をするようになって行ったのです。

       その家宅捜索で、配給以外の物資が出て来ると、 逮捕され、 村の

       広場で、 見せしめに 「 資本主義者。」 とレッテルを貼られて、

       処刑されていったのです。


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         こうして、 一般家庭から、強制的に取り上げられた 物資は、

         共産党員の手によって、 一部はレーニン共産党に送られ、

         一部は、 途中で 共産党の人間によって、食べられていったのです。



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         一年目の冬で、多くの人が倒れていき、 残った人は、共産党

        だまされたと、悟るようになり、 共産党員を 殺さないと飢え死にして

        しまうと考える人が増えていったのです。

        これが、 第1次世界大戦集結する 約半年程度前の出来事です。

        このような経緯で、 ロシアでは、 共産党を攻撃する農民や労働者の

        一揆というか、 反乱が各地でおきていくのです。


        【 明日に続く。】