第1340回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1339話  恐怖のマスタードガスの事。 2015年11月01日日曜日の投稿です。





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   戦後、第1次世界大戦と呼ばれ、 当時、 欧州大戦と呼ばれていた戦争は、

   その発端となった、サラエボ事件から、約1年が来ようとしていたのですが、

   機関銃という存在が、 大変な戦死者を出して、 両者が塹壕を掘って

   陣地を作って対峙するという膠着状態になっていったのです。




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   そして、 両国は、農業用の殺虫剤を風に乗せて、相手側に流すという

   戦術をとっていたのですが、 見張りが警報を出して、 全員がガスマスクを

   着用するようになると、まったく戦果がでない無意味な戦術となっていった

   のです。


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      そこで、 フリッ ハーバー博士が考案した新たな 化学薬品は、どのよう

      な品物であったかというと、 ガスマスクをしていても、 人間の皮膚から

      毒素が体内に染みこんでいくという、大変恐ろしい化学物質を考え出

      したのです。 



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     この化学薬品は、二酸化硫黄と エチレンと言う化学薬品によって

     抽出される猛毒で、 チォジグリコールと言う物質を塩素化することで

     発生する物でありました。


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      ハーバー博士の考案した、 化学薬品は、 化学プラントで大量生産

     され、製造段階でも、多くのドイツ人が亡くなったそうです。

     これらは、すべて、「 国のため。」と言う言葉でかたづけられて、見向きも

     されなかったのです。 


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      ハーバー博士の考案したガスは、 日本陸軍では、「 ぎい剤。」と呼んで

      いる毒ガスで、 匂いがニンニクのような匂いがすることから、 マスタード

      ガスと呼ばれていったのです。

      日本でも、 広島県の おおくの島という秘密の地図に載っていない、

      竹原市忠海沖の島で、これらの兵器が製造され、 戦後も製造に

      従事していた人は、次々無くなっていったり、 呼吸困難になるという

      ぜんそくをひどくしたような、症状を訴えて、 問題となっていったのです。 


      このガスは、人間の皮膚や、 防毒ガスマスクのゴムの隙間などから

      人間の身体を攻撃する物で、 ガスマスクをしていても、意味が無い程度

      恐ろしいガスでありました。



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        1915年 大正4年の暑い夏、 防毒マスクをつけているだけで

        息苦しい そういう季節に、ユダヤ人科学者 ハーバー博士の

        考案した 新しい化学兵器が、 カナダ軍陣地に対して使用される

        事になっていったのです。



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       「 御国の為に。」 と言う言葉が 日本では常時使われ、大変な人が

       戦死したり、 焼け死んだり、 財産を失ったり、 両親が亡くなって、

       孤児になって、 人生が大きく変わっていったわけですが、 当時

       ドイツや、フランス、イギリス、ロシア などでも使われて、多くの人が

       犠牲になっていったのです。

       ハーバー博士のご本人の回顧録では、 この時、この発明がドイツ人

       によって同胞のユダヤ人を殺害する為に使用されるとは 想像もして

       いなかったようです。


      【明日に続く。】