第1414回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1413話 国家社会主義ドイツ労働者党の党員の事。

                             2016年1月16日土曜日の投稿です。




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  ところで、1921年 日本の大正10年8月に発足した、国家社会主義

ドイツ労働者党のヒットラー執行部は、どうなっていったかというと、暴力組織

になっていったのです。


  紹介したように、ミュンヘンの駅の鉄道補給所で、鉄道に石炭や水などを

 補給する作業場の労働者の集まり、54人の中に、ヒットラーが入り込み、

 ヘス副総統の記憶では、当時540人程度の人数に増えていたようです。



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    後に、ヒットラーの後に、入党してきた人達が、どんな人であったのかという

   と、一般市民の中では、 悪事を働く、不良外国人を自分達の周囲から

   追い払おうという そう言う人達が多く入党していったのです。



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   そして、もう一つのグループは、 エップ義勇軍に参加して、 戦場で、

   小銃を乱射し、 銃剣を着剣して、相手に突き刺していた、血みどろの戦闘を

   経験した、そういう民兵組織のメンバーであったのです。



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     当初の設立では、労働者の労働環境を改善しようという、そういう

    労組的な政党であったのが、 過激な外国人排斥を唱える政党に

    このヒットラーが党首になった頃から、徐々に変化していったのです。




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    当時の状況を調べると、ヒットラーの内意を受けて、 ヘスが組織して行った

 党の組織は、軍隊の部隊単位を横滑りさせた物で、 例えば、末端の党員が

  ユダヤ人金融屋から金銭を借りて、浪費してしまい、返済に窮してしまい、

 ユダヤ人金融屋から依頼を受けた、ユダヤ暴力組織が、その党員の家に

 大人数で訪れて、返済を迫り、 強談に及んで、トラブルになった場合、



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 まずは、同じ分隊の党員が応援に駆けつけ、 伝令が分隊から、小隊本部

 に報告され、中隊、大隊、党本部へと、報告され、 大挙して、 党内の

 民兵組織出身者で構成される、武装集団が現地に向かって、 ユダヤ

 取り立て屋などに、集団リンチを加えていったのです。

 そして、このような経緯が、 党の機関誌で美化されて紹介されると、 ユダ

ヤ人に、ひどい目にあっていた人達が、 国家社会主義ドイツ労働者党に救いを

 求めて、その後、入党していったのです。

 ナチスの機関誌 フェルキッシヤー ベオハバターは、思想や論文だけでなく

 これらの事を 党の成果として、大々的に美化して発表し、 これを読んだ一般

 の党員、市民も、拍手喝采していったのです。


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     そして、これらの末端の分隊の党員から、共産主義者が集会を開こうと

     しているとか、 秘密の会合を行おうとしているとかの情報をつかむと

     民兵組織の党員が、これらの場所を包囲して大人数で襲撃していった

     のです。



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     このような事から、相手の共産主義者も、 ヒットラー達から身を守る

    為に、ナイフや小銃、短銃などで、武装するようになって行き、どんどん

    中央政府の治安権限が弱かったので、 対立がエスカレートしていったの

    です。

    当時。警察官はいたのですが、 彼等は大人数で悪い犯罪を平気で行い、

    お互いが 証人になりあいこして、 事件の後、過去形で警察が動いても

    なかなか、対処出来ないのが当時の現状で、警察官も 数人では、数十人

    の外国人のたまり場に入り込むと、逆に殺害されたりと、当時は大変な

    世相であったようです。 


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     これらの対立の公図というのは、現在のドイツ社会でも同様で、

     盗み、殺人、強姦などを集団でドイツ人に対して行う、不良外国人に

     対して、大きな排斥運動が起きているのが現状ですか、 大正10年

     当時は、 もっと状況がひどかったのです。

     我国でも、昭和20年 21年 22年 朝鮮人が徒党を組んで、日本人を

     襲うという事件が頻繁に起こり、 警察は機能せず、 立ち上がったのは、

     任侠組織であったように、 ドイツでは、 ヒットラー達、民兵組織が

     不良外国人に直接 天誅を加えていったのです。

     こんな経緯で、 国家社会主義ドイツ労働者党は、暴力組織に変化して

     行ったのです。


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      しかしながら、警察も見て見ぬ振りをする、不良外国人の集団に、

      立ち向かっていく、国家社会主義ドイツ労働者党の面々を、ドイツの

      市民は、拍手喝采して支持し、 同調する人は、 入党し、自らもドイツ人

      を守る為に活動していったのです。



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       そして、 ヒットラーはこれらを煽動するような 演説集会を重ねていき、

       どんどん、不良外国人の排斥を訴えていったのです。

       このような、ヒットラーの演説を毎回聴いていると、 そうでない人も、

       不良外国人排斥運動を支持するようになって行き、ヒットラーが言う、

       ドイツ民族が団結して、 強力な国家を建設するという話を信じ込んで

       行ったのです。



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     ヘス 元副総統は、 当初はそうでもなかったのですが、ヒットラー

    話を何度も聞いていると、だんだん、ヒットラーの話が本当だと思う様に

    なって行ったと、 後に語られています。



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       そして、 さらに、 外国人に不満を持つ ドイツ人や、愛國者が

       入党していき、 ヒットラーの党は どんどん 党員を増やしていった

       のです。

        独裁者を大きくしていったのは、ドイツ人自身であったのです。



        【明日に続く。】