第1484回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1483話 警視庁 懲戒免職の事。 2016年4月3日 日曜日の投稿です。





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   ところで、関東大震災の年の年末の12月27日に、 難波 大助なる人物が、

  当時の摂政 東宮 裕仁殿下のお車を狙撃し、運良く 東宮 裕仁殿下 【 後

  の昭和天皇】には、弾丸が命中しなかったものの、前に座っていた入江侍従長

  に命中すると言う事件が発生し、これを虎の門事件と呼びます。



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   当時39才の やり手の内務官僚で、将来を有望視されていた、警視庁の

   警備部長 正力 松太郎 氏は、年が変わって、1月に入ると、この事件の

   責任は警視庁の怠慢による事件であると決めつけられ、 正力 さんは、

   内務省から 懲戒免職にされるのです。

   つまり、 失業者となったわけです。 



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     湯浅 創平 警視総監 解任、 正力 松太郎 懲戒免職の処分は、

     陸軍の圧力で、内務省が発令したと言われていて、 2ヶ月前に、 大杉

     栄事件で、 湯浅 警視総監と、 正力 氏が、 橘 宗一 少年殺人事件



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     でアメリカ大使館、 山本権兵衛 内閣総理大臣に直訴したことを、陸軍の

     上原元帥と、憲兵隊の一派が、報復したと言われているのです。



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     戦後の現在の物差しで考えると、随分理不尽な処分としか言いようがない

     のですが、 東京帝国大学を卒業して、内務省に エリート官僚として入省

     して、40才になる前に 懲戒免職となったのは、ご本人も随分不本意

     あったと思われます。

     そんな 正力 松太郎氏に 次の仕事の声をかけたのは、前の 内務大臣

     後藤新平 氏であったのです。


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    この 後藤 新平 さんと言う人は、 陸軍憲兵隊に殺害された 社会主義者

    大杉 栄 を 背後で動かしていた人物で、今度は、何を計画していたかは、

    次のお話で紹介したいと思います。


     【 明日に続く。】