第1486回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1485話 久邇宮 良子【ながこ】様の事。2016年4月5日火曜日の投稿です。




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   前のお話で、後藤新平 総裁が、虎の門事件で警視庁を懲戒免職処分された、

  正力 松太郎さんを、 数日中に、懲戒処分を解除する事を約束すると語ったの

  は、実は訳があったのです。



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  その訳とは、 関東大震災で延び延びになっていた、 摂政 東宮裕仁殿下

  【せっしょう とうぐう ひろひと でんか 後の昭和天皇の事】のご成婚 つまり、

  結婚式が行われる事になったのです。

  慶事と言う事で、 刑罰が恩赦で許されることとなったのです。



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            【 久邇宮 良子  くにりみや ながこ 親王様 】


    東宮 裕仁 【とうぐうひろひと】殿下 【後の昭和天皇】のお相手は、先の

    近衛師団長 久邇宮 邦彦 【 くにのみや くによし】 陸軍大将の長女で

     良子 【 ながこ】 親王 様であったのです。

    ところで、このご成婚、 色々あって、 運命の結びつきというか何というか

    御縁があったようです。

    この縁談、 実に初めから、山あり、谷ありの縁談で、 4年前にさかのぼって

    わかりやすくお話しすると、 皇族の 久邇宮 邦彦 王 は、陸軍士官学校

    を卒業して、陸軍の皇族として活躍した軍人でありました。



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              【 良子【ながこ】 様の父上 久邇宮 邦彦 王 様 】


   ちょうど 父上の邦彦王様が、近衛師団の師団長で 陸軍中将の時に、

  どうやら、西園寺 公望 公 や 腹心の牧野 伸顕 公などの描いた絵で、

  宮内省が、 裕仁殿下と良子様の縁談を計画し、 邦彦 王様が、 軍事参議

 官の時に、つまり、1920年 大正9年6月10日に婚約が発表されたのです。




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                    【 山縣 有朋 陸軍大将 】


   この話を聞いた、当時の実力者山縣有朋公は、自分を通さず、 宮内省

   話をまとめた縁談と決めつけ、腹を立てて、 この縁談をつぶしにかかったの

   です。

   以前紹介しましたが、 自分を通さない話は、横から話を混ぜ繰り返して

   妨害し、 みんなそれを恐れて、山縣有朋公に 挨拶に行くわけです。

   すると、「 この件でのう、おみゃーー、なんぼ もってくるんか。」と 金銭を

   要求するわけです。

   提示した 金額が低かった場合、 「 そんぎゃな話しじゃぁ わしゃーしらん。」

   と言うわけです。


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    山縣 有朋 公 は、こうして集めた金銭を 自らの派閥の維持に使用したり

    趣味の庭園作りに、惜しげもなくお金を使ったのです。

    そのような事情で、 「 ワシに、なにも断りをいれずに、 なんが、 ご成婚

    なら、えーかげんにせい。」と、腹を立てて、 久邇宮家に、因縁をつけて

    破談にしようとしたのです。

    

     【 明日に続く。】