第1480回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1479話 婚約政局の事。 2016年4月8日金曜日の投稿です。





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                       【 当時の宮内省 古写真 】




  「 山縣 有朋公が腹を立てて、皇太子殿下の婚約相手の久邇宮家に、

婚約辞退を申し入れるよう 圧力をかけているらしい。」と言う話を聞いた

西園寺 公望 元内閣総理大臣は、 「 また始まった。」と思ったそうです。




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 と言うのが、自身が内閣総理大臣の時、 陸軍が反発し、陸軍大臣が自分を

飛び越えて、天皇陛下に辞表を出して、 陸軍大臣を辞任して、後任の陸軍大臣

を出さないという戦術をとって、 西園寺内閣は 総辞職して、崩壊したのです。



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       それらの絵を描いたのは、 山縣有朋公で、「わし等に、話を通さずに

      物事進めるんなら。勝手にせぃ。」 と言って、 西園寺内閣を引きずり

      おろしたのです。


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      「陸軍は、内閣総理大臣の部下ではない、 天皇陛下の直臣である。」

     と言って、 天皇陛下に辞表を出して、やめてしまったという陸軍大臣

     難しい爺さんで有名な、上原 勇作 陸軍大将であったのです。

     若い 陸軍の尉官、 佐官 は、この行動を、「聞いたか、 さすがは

     上原大将、 やるなーー、痛快時である。」 などと言って、拍手喝采した

     のです。




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     こんなことをして、 当時 山縣有朋公らに、懲罰を加えようとする

     力のある人は、総理大臣といえども出来ないような、巨大な軍閥が官僚、

     政治家、軍隊内にあって、 これらの行動をそのまま放置した結果、 

     陸軍の末端の軍人が政治家や、内閣の言う事を聞かなくなっていったの

     です。

     西園寺 公望 元内閣総理大臣が、単独で 山縣派と渡り合うのは

     不利と考えて、 協力を求めたのが、 原 敬 内閣総理大臣であった

     のです。



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   原 敬 内閣総理大臣は、 当時 山縣有朋公ら、長州派の機嫌をとり、

   関係は良好であったのですが、 心の中では、力を持ちすぎ、傍若無人

   ふるまう、陸軍の長州派を何とかしたいと考えていたところに、この 宮中

   某重大事件が発生したことで、 上手に 貞明皇后様や、皇太子殿下、

   婚約相手の久邇宮 良子 様を利用して、 山縣有朋公の失脚を計画

   するのです。

   そして、右手で 山縣有朋公と握手しながら、 左手で、針を刺す行動に

   隠密に打って出るのでした。

   水面下で、陸軍の長州派を落とし入れる陰謀が用意されていったのです。

   自らは表にでず、姿を隠して、相手をドブに落とす方法とはどのような 方法

   であったのかは、次回お話ししたいと思います。
 


   【明日に続く。】