第1481回 昭和の伝道師【 戦中戦後のパイロットの物語】

第1480話 原 敬 総理の切ったカードの事。2016年4月9日土曜日の投稿です。





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                  【 当時の 原 敬 内閣総理大臣 】


    原 内閣総理大臣という人は、 当時 新聞社、つまり当時のマスメディアを

    傘下に置いて、 当時の金融業界の代表者たる、髙橋 是清さんらを自らの

    政党の政友会に招き入れ、 銀行や財閥にも根を張り、新聞の報道を利用

    して、鉄道を作りますとか、堤防などを作りますとか、自分の政党の政友会

    に都合が良い話を新聞で宣伝して、数回の選挙で豊富な政治資金で、

    政友会の候補者を多数立てて擁立し、 山縣有朋 系の地方議員を合法的

    に落選させ、力を削いでいき、 自分の配下の議員と首をつけ替えていき、

    例えば、私の郷里の奈良県などでも、「鉄道を整備して、奈良から

    橿原神宮までの線路を敷いて、政友会は駅を作る事を約束します。」

    などと、新聞で宣伝するので、みんな 政友会の立候補者に投票する

    様になっていったのです。

    そして 原総理は、 本丸の山縣有朋公を 追い落とそうと、前任の

    寺内内閣のある経済事件を利用して、 姿を隠したまま、 右手で 

    山縣有朋公と握手し、左手で、 包丁を突き立てるようなことをやって

    いったのです。

    原さんと言う人は、 新聞、マスメディアを武器にしていったのです。

    この報道と言う武器は、非常に世論操作には有効であったのです。




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              【 前任の内閣総理大臣 寺内 正毅 陸軍大将 】


 この前任の寺内 正毅 内閣総理大臣は、山縣有朋公が大隈重信内閣を

 揺さぶって総辞職させ、強引に作った内閣で、帝都 東京にスペイン風邪という

 疫病が当時流行し、総理大臣在任中に、寺内総理がスペイン風邪に感染し、

 闘病の末、死去し、 後を受けて成立したのが 原内閣であったのです。





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          【 右が寺内正毅 総理の子息の寺内 寿一 陸軍元帥 】


  この寺内 正毅 陸軍大将の 子供が、 陸軍南方軍総司令官の寺内 寿一

  陸軍元帥で、 源田参謀の立案した 台湾航空戦の 新聞発表の戦果を



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 【レイテ作戦に反対していた フィリピン第14軍司令官 山下 奉文陸軍大将】




  鵜のみにして、 当時 兵力投入に反対していた、 第14方面軍司令官の

  山下 奉文 陸軍大将に、レイテに進撃するように命令を出して、大敗北を

  するのですが、そのお話はまた後日お話ししたいと思います。





  ところで、原 敬 総理は、新聞社を押さえていたので、 新聞記者を動かして

  いろんな情報を持っていたのです。

  その中の情報で、 山縣有朋公を追い落としの道具として使ったのが、

  西原借款事件という、経済事件であったのです。

  


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     だれが 新聞に情報を流したのか、 山縣有朋公達に都合の悪い記事が

    どんどん 掲載され始め、 頼みもしないのに、日本全国つづ浦々まで

    新聞配達が配って回り、 世間は大騒ぎとなって行ったのです。

    どういうことかというと、 当時の寺内内閣の国家予算の5分の1程度の

    2億4千万円相当の金銭を、帝国議会に無断で勝手に支那政府 に

    担保も取らずに融資して、焦げ付いて返済不能になっていて、 その利息は

    山縣有朋公らが 私的に懐に入れていたという記事であったのです。



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    そして、 帝国議会の承認を得た 債務を入れると、3億円近くが回収不能

    になっていたのです。

    現在の戦後の大蔵省の執行予算がおおむね100兆円として考えると

    五分の一というと、 20兆円、 年間の防衛費の約5年分に相当する

    金銭が回収不能になってしまったわけです。

    そして、 新聞記者が調べると、 そのお金は 山縣有朋公の命令で、

    勝手に大蔵省に内密に紙幣を印刷して、支那政府に 西原という男を

    通じて、 渡されていたのです。


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      山縣有朋公ら関係者は、 皇太子殿下の婚約話しの騒ぎ所では

      無くなっていったのです。


      【 明日に続く。】