第1483回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1482話 山縣有朋公の失脚の事。 2016年4月11日月曜日の投稿です。
山縣 有朋公は、与党政友会の原 敬 内閣総理大臣の描いた絵の上で、
熱々の鉄板の上で、猫踊りをさせられるはめとなり、世間や、帝国議会から
西原借款事件で、追求をされ、責任をとらされて、すべての役職を返上し、
政治の世界から引退することになったのですが、数ヶ月して肺ガンの様な
症状で倒れ他界されたのです。
当時は、 肺炎と他の原因不明の病気を併発したと 新聞には書かれて
います。
【 久邇宮 良子 【くにのみや ながこ】 様 】
このような経緯で、 強行に婚約に反対し、 破談にしようと動いていた
陸軍の長州閥の面々が失脚し、静かになったことで、 皇太子殿下
皇室修行をすると言う事で、進んで行ったのです。
そして、原総理も、 赤字財政の原因の陸軍のシベリア出兵を撤退させて、
日本の財政を立て直そうとして、 その途中、 陸軍が雇った、中岡なる
男に、東京駅の丸の内口で刺し殺され、 他界されたのです。
原総理が死去し、 後を引き継いだ 髙橋 是清内閣は、与党が分裂
して、帝国議会の採決が出来ず、 空転国会が半年程度続いて、内閣
総辞職にいたり、 その後を受けた、 海軍大臣 加藤 友三郎内閣は
命をかけて シベリアからの陸軍の撤退をやり遂げて、軍縮をして、
財政破綻を回避することに 全力をあげ゛ていたのですが、 ロウソクの
火が消えるようにして、 加藤 友三郎 内閣総理大臣が在任中、
他界し、 その症状から 大腸ガンであったようです。
帝都 東京、横浜、横須賀 小田原、鎌倉、房総半島、伊豆半島は、廃虚と
なり 、 ご成婚の儀は、延期されていたのです。
年が変わって 1924年 陸軍参謀本部の今村 均 参謀らが提案した、
は拒否され、 「東京に残って、一緒に 臣民と復興にあたりたい。」とおお
せになり、 数日後、 延び延びになっていた、久邇宮 良子 様との
ご成婚の儀を執り行うことを、宮内省から発表されたのです。
【 当時の 宮内省 】
大正時代のイメージを ご成婚の儀で変えようと、計画したようです。
【 明日に続く。】