第1490回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1489話 議会政治の欠点の事。 2016年4月18日月曜日の投稿です。






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   大正13年当時、日本もフランスもイタリー王国も 同様であったのですが、

 議会政治が停滞し、何も決定できない空転国会が続いていたのです。

 どういうことかというと、 議会制というのは、 採決が行われ、議員が投票

 して、物事が決定していくわけです。



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 与党が過半数議席を有して、どんどん法案を可決する能力があれば良いの

 ですが、 当時、フランスも、イタリー王国も、イギリスも、日本も 少数与党

 単独では採決が難しかったのです。

 その結果、 連立与党となったり、 それぞれの法案で、いろんな取引が行わ

 れる事になっていったのです。



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                  【 清浦 奎吾 内閣総理大臣 】


    大正13年1月に成立した 清浦内閣は、 衆議院の与党 政友会や、

   野党 第1党の憲政会の協力が得られず、 空転国会が続いて、なにも

   決定できず、政治は止まってしまい、 政治的空白が出来ていったのです。

   そのような事情で、 数ヶ月で内閣総辞職してしまうのですが、結局、なんの

   為の 内閣であったのかが わからないような、そんな 数ヶ月であったの

   です。



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  関東大震災で、災害復旧で迅速な政治判断が必要であった当時、これらの

 何も決定できない 帝国議会というのは、 大きなロスであったのです。



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 これらの現象は、イタリー王国でも同様で、 教育改革から手をつけようとした

ムッソリーニ 政権は、 議会の反対派のおかげで、何も改革が進まなかったの

です。

 経済は混乱し、 速い迅速な経済対策が求められる中、 当時の議会の議員は

 「この法案に協力する見返りは いくら金を用意するのか。」 と、 金銭で票の

 売り買いが行われていたのです。

 そのつど、 与党から、野党に 議会対策として、 多額の金銭が動き、これが

 次の選挙の 選挙資金になっていたのです。

 そのような 世相で、 巨額の 議会運営のお金が必要となり、 そのお金を

 準備するために、 どうしても、 ワイロを要求し、 いろんな汚いことに手を染め

 て、ワイロが横行するという、 そういう議会政治が続いていたのです。



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  当時、 イタリー王国では 失業者が増え、一刻も早く、有効な経済対策が

  求められ、実行する必要があったのですが、 議員達や、野党の党首、与党

  の党首も、一切、 そんなこと庶民の暮らしの事を考えていないような 毎日で

  あったのです。

  このように、 フランスでも同様で、イギリスでも同様で、議会が、圧倒的多数の

  議席を確保することが出来ない政党が与党となり、議会は空転し、政治が

  止まっていったのです。




               「 迅速な 政策決定が出来ない。」 

 

          これが 当時の議会政治の欠点であったのです。



           べーニート ムッソリーニ先生は考えたわけです。



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  こんな 腐った議会がなくなれば良い、 一般の国民の事を考えて、早急な

  対応をするためには、 議会政治を終わらせて、 1人の責任者が素早く

  迅速に命令を発令し、 政治を行っていくべきだと考えるようになって行った

  のです。


         そのような 経緯で、 日本が後に日独伊三国同盟を結んで

   戦争に進んで行くことになる 相手先のイタリー王国では、議会政治を廃止し、

   1人の責任者 ドーチェ 【 総帥 】が、責任を持って 迅速に物事を決定

   する政治体制を作ろうとする動きが出来ていったのです。


     これらの主流派が、 ムッソリーニ先生の率いる 退役軍人の会の

     イタリー王国 ファシスト党が中心となって進めていったため、



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         当時の人達は、 これらの政治体制を ファシズムと呼んだのです。

       ファシズムというと、独裁者の象徴のような そんなイメージがありますが

       大正13年当時は、 そうではなかったのです。


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       まず、子供を労働から解放し、 どんな身分の子供も出発点は

      一緒であるべきで、 親の身分や、 金銭の多い少ないで、子供が差別

      され教育が受けられないという こう言う事は 無くしていかねばならない

      という、 そう言う考えを実行するための 考えに、考えた末の結論で

      あったのです。


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      そして、 人々から娑婆代【みかじめ料】や、いろんな事で金銭を巻き上げて

      私腹を肥やす、暴力団 ミッリュー【 マフィアの事】を排除して行くには、

      議会政治は、じゃまな存在であったのです。

      と言うのが、 暴力団の ミリューの親分が、当時は、元首相や、

      前大臣や、野党の党首や、議会の議員であったのです。

      つまり、日本でわかりやすく例えると、 ○○組や、○○会の暴力団

      組長や、会長が、 前の総理大臣や大臣であったのです。


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      これらの 腐った、イタリーの政界を 掃除するには、 普通のやり方

      では、 命がいくつあっても 足らなかったのです。

      それに対抗するには、 武力と 強力な権力が必要であったのです。


    【 明日に続く。】