第1505回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1504話 「そな、あほな。」の事。 2016年5月4日水曜日の投稿です。
勢子役の前衛部隊は、 軍歌を口ずさみながら出発し、当時の私は源田氏
が言うように、 目立とうとして、ウサギをたくさん引っ捕らえて、淵田 の名前を
兵学校内に高めようと、 こう考えて、わくわくしていたのですが、みんな、
周りの生徒も同じような事を考えていたのです。
ところが、監事殿のお話を聞いていると、 ウサギをたくさん捕まえた分隊が
表彰されるのではなく、 1番初めに 捕まえた分隊が表彰を受けると言う
そう言う評価基準のお話を私達は聞いたのです。
後から考えてみると、 どうしてそう言う評価基準になって行ったかというと、
生徒 約270名に対して、その年、その年、で前後したようですが、三羽か
四羽 ウサギを捕まえられれば良い方で、 獲物の数が少なかったのです。
そもそも、野生動物のウサギを敵国諜報員に見立てての、山狩り訓練で
部隊の連絡、 相互の連携の訓練であって、 ウサギを捕まえて料理する
という訓練ではなかったのです。
井上生徒が、 「谷の出口に、網など用いず、 軽機【 軽機関銃の事】を据えて
谷におりてくるウサギを蜂の巣にしてしまうだっぺ。」などと、話していると、私達
分隊の面々が監事に呼ばれまして、 「 貴様らには、昼の炊事当番を命ず。」
と、こんな命令がありまして、 私達は仕方なしに、昼の糧食当番をするはめに
なっていったのです。
しばらくすると、駆け足で伝令の生徒がやってきて、「 申告いたします。
これより前衛部隊は、 敵国諜報員の追い立てを 各配置場所で開始いた
します。以上、終わり。」 と、 敬礼して 忙しそうにまた戻っていったのです。
「 なんやーー つまらん役をおおせつかった。」と、私達は昼の炊事当番を
することになったのですが、 その他の生徒は、網を持って 谷の出口で、
ウサギを待ち受けることになって行ったのです。
当時、 やはり、数が少なく、 捕らえられたウサギは、三羽が四羽
程度であったと記憶しています。
このように、海軍兵学校のウサギ狩りは、毎年の1月の下旬、大人数で
その年、その年で、場所が変わったようですが、 網だけを用いて
行われていったのです。
そして、 1番始めに、ウサギを取り押さえた 個人ではなく、分隊が
兵学校に帰隊してから 表彰を受けたのです。
日本海軍では、 当時、個人のスタンドプレーを良しとはしなかったのです。
軍隊というところは、 何事も集団行動で、 周囲と協調でき、1つの目的の
事を大勢の人間で行う、 その 取りまとめ、 指揮、指導をする人間を
作る事を目的とした学校であったのです。
広島県の宮島の対岸の小山という場所で、私達がウサギ狩りをしていた
新たな政局が起きていたのです。
それは、 最大与党の政友会が分裂するという、 大きな出来事であった
のです。
【 明日に続く。】