第1507回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1506話 加藤高明 総裁の事。 2016年5月6日金曜日の投稿です。
前話で、明治時代後半から大正時代にかけての帝国議会における政党の
創立期のお話を簡単に紹介したのですが、 桂 太郎 内閣総理大臣が
この新党を継承していったのは、 加藤 高明 勅選貴族院議員であったの
です。
加藤 高明 さんと言う人は どんな人かというと、 愛知県の旧尾張藩士の
服部家の次男で生まれ、 加藤家に養子に出され、 その後、 東京大学に
進学して、首席で卒業した 秀才でした。
その後、 当時の財閥の三菱に入社し、 海外勤務などを経て、創業家の
岩崎 弥太郎氏の娘と結婚し、 事実上、三菱の経営者であったのです。
勅選貴族院議員とは、どういうことかというと、 多額の税金を納付している
財閥の経営者などは、国が指定して、 国会議員に選挙などを行わず当時
貴族院議員になれたのです。
つまり、今風に言えば、 三菱のオーナーなので、選挙など関係なく、
参議院議員になれたというところでしょうか、
ところで、 立憲同志会は、その後、 大隈内閣を作るために、他の小政党
と連立を組んだのです。
弾き出された議員などに声をかけて、 合同し、 議員総数198名の
政党を作って、 憲政会 【 けんせいかい】 と称して、 総裁に、加藤 高明
議員が座ったのです。
どうして座れたかというと、 政党の資金を財閥の三菱が多く負担して
いたのです。
今も昔も、選挙や政治活動には途方もない資金が必要であったのです。
の公共工事を行う事を新聞で宣伝し、それを信じた地方の人達が、与党 立憲
政友会に投票し、 野党の立場であった憲政会は、 多くの議員が落選し、 10
年近くが過ぎていったのです。
頭の良い 加藤 高明 議員は考えたわけです。
多額の資金を積んで、全国の選挙区に 配下の議員を擁立して、選挙を
打って勝利して、過半数を獲得して与党になるのは難しいとーー。
手っ取り早く、 与党になるにはどうしたら良いか、ーーーー。
出てきた答えが、 現在の 清浦 奎吾 内閣を なにがしかの方法で、
内閣総辞職に追い込み、 与党の政友会を なにがしかの方法で分裂させ、
議員数が、政友会より上回れば与党になれ、 自らが、内閣総理大臣に
なれると考え至ったのです。
その なにがしかの方法とは、 どうすればよいかーーーーー。
めまぐるしく回転していったのです。
【 明日に続く。】