第1508回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1507話 岩の目の事。 2016年5月7日土曜日の投稿です。
当時、野党の憲政会の総裁であった、 加藤 高明 貴族院議員は、自身が
内閣総理大臣になるには、 清浦 奎吾内閣が早期に、退陣して、 当時の与党
の立憲政友会が分裂して、 自身の憲政会の議員数より少なくなると、自分に
総理の目が出ると考えて、 岩の目を捜したのです。
岩の目は何かというと、 どのような大きな岩でも、岩の目というのがあって
この岩の目に 石のみを当てて、叩いていくと、 大きな岩が割れるわけです。
大きな岩の政友会を叩き割るのに、どこに 石のみを入れるか考えたようです。
当時、与党の政友会の総裁であった、 髙橋 是清 衆議院議員達は、
自分達が与党なので、 第2次髙橋 是清内閣を作ろうと動いていたようで、
蓋を開けてみると、 貴族院の 清浦 奎吾の 司法爺さんに、大命が降下し、
ため、 大きく反発し、 倒閣運動を始めたのです。
つまり、 与党であるから 閣僚ポストを要求したのですが、 0であったことに
大きく反発したわけです。
議員グループと対立していき、 政友会は混乱していったのです。
加藤 高明議員が 見つけた、岩の目とは、どこであったかというと、政友会
の 髙橋 是清 総裁 派の 橫田 議員と 対立する 床次 議員との間を
分裂工作することであったのです。
していたのです。
ここに、溝を掘り、 油を流して、火をつけて、風を送り、 火事を起こして、
与党 立憲政友会を分裂させようとしていったのです。
1923年 大正13年1月中旬、 震災復興を掲げた、清浦 奎吾内閣は、
推挙した、西園寺 公望公の思惑とは裏腹に、 高橋 是清 一派によって
帝国議会は空転し、混乱していったのです。
【明日に続く。】