第1512回 昭和の伝道師【 戦中戦後のパイロットの物語 】

第1511話 野党に転落の事。   2016年5月11日水曜日の投稿です。




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    与党 立憲政友会の総裁の椅子に座り続け、 貴族院の清浦 奎吾 

  内閣総理大臣を総辞職に追い込み、 自らが もう一度 内閣総理大臣になり、

  破綻に貧した、大蔵省の国庫を何とかしないと行けないと考えていた、 高橋

  是清 総裁は、 財政再建、 予算の削減を叫ぶのですが、 これでは、選挙で

  票の獲得が難しいと考えた、 衆議院議員は、大挙して離党することになって

  行ったのです。



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                 【 高橋派  橫田 千之助 衆議院議員 】


      これらの離党していった人達を、 日本の金融が理解できていないと、

    批判する人たちもいて、 このままでは、外国に借金をして 利払いが出来

    なくなっている現状をふまえ、 高橋是清 総裁を支持する衆議院議員

    いたわけです。  その数 129人 であったのです。



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      1924年 大正13年1月後半、 絶対与党であった、立憲政友会と言う

     政党は、 残念な事に、半分以下の129人となり、野党に転落していった

     のです。




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               【 政友本党  総裁 床次 竹二郎 衆議院議員 】


   政友会から分裂した、床次 新党は、「 われこそは 政友会の本当の党

   である。」 と言う意味合いから  政友本党 という党を作って、議員数

   149人で帝国議会で会派を作り、 貴族院の 最大会派、研究会と連携し、

   清浦 奎吾 内閣に協力していったのです。



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    貴族院の清浦内閣は、 高橋是清さん達を、放逐していったのです。

   1度総理大臣に担いだ物の、 自分の政党をまとめきれず、 反対者が続出し、

   帝国議会が半年以上空転し、何も決められず、総辞職したわけで、このような

   男と話をしても、益はないと考えたようです。

   そして、 反対派の官僚出身者の 床次 竹二郎 衆議院議員 らと手を組んだ

   訳ですが、 その後、 選挙後、落選者が相次ぎ、 政治資金が不況の為も

   あったのですが、集まらなくなり、 野党に転落し、 官庁への口利きの話しも

   うまくいかなくなり、政友本党という 政党は、破綻していくことになるのです。





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     このような経緯で、 大正13年1月は、 前年の12月の年末に発生

   した虎ノ門事件、 二重橋爆弾事件、山本権兵衛 内閣の総辞職、 レーニン

   の死、葬儀、 政治闘争の末の共産党内の粛正、 皇太子裕仁殿下の

   ご成婚の儀、 そして、 数日して、与党 政友会の分裂と、いろんな出来事が

   続いたのです。

   いよいよ、月は変わって、 2月に入り、有名な裁判が始まっていくのです。  



   【 明日に続く。】