第1514回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1513話 土曜の大掃除の事。 2016年5月13日 金曜日の投稿です。
1924年 大正13年2月に入ると、 出来の悪い生徒であった私達は、
卒業まで半年となり、 必死に外国語を話せるように 訓練する毎日で
あったのです。
海軍兵学校というところは当時、 2カ国語を 日常会話出来る程度の
語学力がないと、卒業させてもらえず、 解雇であったのです。
2カ国語、話せないと、 海軍をクビになると言う事で、 それはそれは、
大変な思いをしたわけです。
お雇い英国人教師の リー先生や、ランダル先生達に
「 ノーノーー イケマシェーン、 アナタハ、ハツオンガ ダメデース。」
などと評価されると、卒業出来ないので、 絶えず、 会話の練習を
日常生活で日本語を使わず、外国語で話していたのです。
まあーー不思議と、毎日 口でしゃべっていると、 下手でも 話が
出来る様になる物です。
以前紹介したのですが、海軍兵学校と言う所は、 毎週土曜日が 大掃除
の日と言う事になっていて、各分隊事に持ち場を徹底的に掃除して、監事附
が 確認して歩いて、 少しでも不備があると、ギロリとにらまれて、「何かっ
これは。」 と、怒鳴られて、 初めから何度でもやり直しさせられたのです。
それはもうー大変でありまして、 監事附が トコトコ 巡検で見て回るの
ですが、部屋の外まで、 因縁をつけるわけです。
そのような事情で、 命をかけて、窓ふきなどもさせられたのです。
それから、野外の草なども すべて取らされたのです。
どこか 1カ所でも放置していたら、 制裁訓練が待っていたのです。
特に、短艇の中、外なども、自分の体より、丁寧に丁寧に掃除
申し上げるわけです。
こういう生活を1年、2年とやっていると、不思議と、ゴミをポイ捨て
する生徒は、 学校の中、 娑婆の外の世界でも いなくなっていった
のです。
そして、 これらの生徒が卒業して艦艇に乗り組むわけですから、
艦艇でも 清潔がうるさく叫ばれていったのです。
ところで、土曜日は午前中が大掃除で、午後からは、分隊対抗の
競技があるのが、お決まりのパターンでした。
その競技ですが、 その週、その週で違っていて、私達は、「 今週は
なにをするんかいな、 負けたら えらいこっちゃでー。 」 と、 心配
していたわけです。
と言うのが、負けたら、 全員 罰として、 制裁訓練が待ち受けていた
のです。
【 明日に続く。】