第1516回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1515話 海軍兵学校 綱引きの事。 2016年5月15日日曜日の投稿です。




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  1924年 大正13年の2月、 私達海軍兵学校 第52期の面々は、毎週

 恒例の土曜日の大掃除が完了した後、 整列し、番号点呼の後、 偶数、奇数の

 分隊に別れて、江田内からの寒風が吹き荒れる中、綱引きをする命令を受けた

 のでした。



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   みんな、参加者は、汚れてもよいように、寒い中、震え震え外で着替えを

 しまして、 場所は当時、大講堂の前から 左右に分かれて綱引きがおこなわれ

 たのでした。


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    ところで、毎週土曜日の午後に行われる競技に参加して、負けた分隊

    制裁訓練 と呼ばれる罰訓練が命じられる事になっていまして、 その都度

    その内容は違うのですが、 みんな 一生懸命それを避けようと綱を引っ張

    ったのです。



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    私達の分隊の監事殿【 海軍大尉】と、監事附 【 海軍曹長 】が 大声で

    雷が落ちるように、「 ケツの穴を締めて、 もっとひっぱれー。」 と

    ハッパをかけるわけです。

    私達、分隊士の面々も、 気合いを入れて引っ張るわけです。


      「 わっしょい、わっしょい、わっしょい。」 「 気合がタラン。」

     「 もっと、 気合いを入れてひっぱれーーーぃ。」と、激が飛ばされ

     たのですが、 どうまいけません、 ズルズルと、前に引き出され、 

    そのうち、 残念な事に、私達の分隊は、負けてしまいまして、監事から

    敢闘精神が欠けておると、お小言を頂戴することになるのです。


     何事も、 命をかけて、火の玉となって、相手が攻撃を仕掛けてくる前に、

     機先を制して、 肉弾となって打ち込んでいく、 こう言う事を指導されて

     いたのです。




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              江田島の 海軍兵学校の 棒倒し という競技と、


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              総短艇 という競技と、綱引きは、江田島名物の

           3大総員訓練と呼ばれていたのです。


        今日は、 江田島名物の3大総員訓練の1つの 綱引きを紹介した

        のですが、 私達は負けたので、その後、 制裁訓練を受けることに

        なっていったのです。

         私は、「 まずいこっちゃ、 今日は、なにをさせられるのかいな。」

         と、随分心配したのです。


        【 明日に続く。】