第1562回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1561話 第1次加藤高明内閣の事。 2016年7月3日日曜日の投稿です。
私達 海軍兵学校 第52期の面々が 卒業まで1ヶ月程度になった大正13年
の決定した 大命降下は、 憲政会 加藤 高明 貴族院議員に、第24代内閣
総理大臣を任命する勅を発せられたのです。
進め採決をして行くには、 現在の 清浦 奎吾 内閣総理大臣では難しいと
考えたあげく、 宮内大臣の牧野 伸顕 公などと、相談して決められたようです。
【 犬養 高橋、 加藤の 護憲派の会合 】
の尾張藩の下級武士の子息を振り出しに、 加藤家に養子に入り、東京帝大を
あったのです。
実は、東大出身の初めての内閣総理大臣で、 この内閣で 日本が焼け野原
になって行き、多くの人が戦災で亡くなっていく原因の法律が出来ていくのです。
で入閣し、法案成立に協力していくことになるのです。
では、加藤内閣でどんな法律が制定されていったかというと、
治安維持法 これは悪名高い法律ですが、当時制定されたのです。
これによって、多くの人が逮捕され、拷問されて殺されていったのです。
日ソ基本条約 ソビエト共産党と外交関係を締結したのです。
陸軍2個師団削減 通称 宇垣軍縮と呼ばれています。
陸軍現役将校学校配属令 これによって、学校に陸軍が入り込んでいったの
です。
つまり この内閣の決定が日本の国の中に軍国主義をさらに深めていく そういう
内閣の決定であったのです。
学校の先生達は、陸軍の軍人に監視され、言う事を聞かないと、平手打ち
を加えられ、追い出され、 生徒は 人殺しの訓練を学校で常時受けていく事に
なって行ったのです。
こうして振り返ってみると、 陸軍を2個師団削減すると、余剰人員が発生する
ため、 それらの将校を各地の学校に振り分けて常駐させていったようですが、
だんだん 校長先生よりも、陸軍の軍人が態度が大きくなっていき、 日本の
義務教育がおかしくなっていった原点の内閣であったようです。
【 明日に続く。】