第1567回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1566話 日本海練習艦隊の事。 2016年7月8日金曜日の投稿です。




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  もうーーずいぶんと大昔のお話で、記憶が薄いのですが、 井上 武男生徒達

と一緒に セミが 「 みぃーーーんみんみんみんみんみーーー。」と元気よく鳴いて、

そんな 江田島の暑い7月の後半頃、 前の方から、黒田 吉郎生徒【 後の大和の

砲術長 海軍大佐 広島県吉舎町出身】が ニコニコしながら歩いていて、私は、

「 なんや、 えーーことでも あったんかいな。」 と言いながら、黒田生徒に、

「 黒田生徒 どないしたんや。」 と 問うと、 黒田生徒は、「 おみゃーーしらんの

んか【 方言で あなたは しらないのですか と言う意味】。」 と言う。


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   私達は、「 うーーん、 なんやねん。」 と問いただすと、「 おみゃーらー

   短艇置き場に行ってみぃ、 練習艦隊が江田内に入港しとるんじゃ。」と

   言うものですから、「 ほんまかいな。」 と私達は、急いで 兵学校の西の

   海岸に走って行ったのです。



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     すると、3隻の日本海練習艦隊が江田内に入港してきていたのです。

     井上 武男生徒が、「 淵田生徒、 あれに乗って 外国に行くだっぺゃ。」

     と言いながら、私達は 大喜びしたのです。


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    「ところで、井上生徒、 あの3隻の装甲巡洋艦の艦名はなんやねん。」

    と、問うと、 さすがに 井上生徒 視力が良いらしく、 「 艦尾に、いずも

    と書いてあるだっぺ。」 と言う、 私は視力が弱く、見えなかったのですが、

    ウソも方便で 、「  ほんまやな。」 と言いながら、 一緒に3隻の軍艦を

    眺めたのです。


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  「こっちのは、なんや。」 と問うと、 「 あれは あさま だっぺ。」 と言う、

  いよいよ私達が乗り込む艦船 出雲 八雲 浅間 の3隻の練習艦隊が

  江田内に 投錨したのです。




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  私達の大正13年は、 関東大震災の混乱の影響で、練習艦隊巡航記念写真

は作られなかったのです。

当時、これらの業務を請け負っていた 凸版印刷が、 作れない状況であった

そうです。

そして、後に紹介するのですが、横須賀で 一騒動あって、外国訪問が延期と

なり、司令長官が交代するという 前代未聞の出来事があって、翌年の大正

14年に入り、桜の花が咲く4月に帰国することとなり、私達が手にするのは 

随分経ってからとなるのです。

それまでは、各年度事に作られていたのですが、 時節柄仕方がなかったよう

です。  


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  この写真帳は92年前の やつれた姿ですが、 非売品の 当時巡航に参加

した 少尉候補生のみに配布された、そういう数が限定された物で、一緒に参加

した練習艦隊の面々や、末端の水兵に至るまでの氏名が紹介されている資料と

して大変大切な写真帳です。



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  みなさんのご先祖様が 乗り組まれていたら、投稿で教えていただくと、名簿を

確認して、 投稿の返事でお知らせします。

 この写真帳をめくりながら、 私達の 練習艦隊での勤務と騒動などの 練習艦隊で

世界旅行に行った昔話しを みなさんにお話しして行きたいと思います。



   【 明日に続く。】