第1568回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1567話 大正13年度練習艦隊旗艦の事。2016年7月9日土曜日の投稿です。




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 【 練習艦隊 旗艦 浅間 1899年就役 艦長 七田 今朝一 海軍大佐  】




私達が、 江田内に入港した練習艦隊の3隻を見ていたのですが、そこへ、源田

達、広島第一中学の卒業生の面々が連れ添ってやってきたのです。

源田生徒 【 参議院議員 後の 航空幕僚長】は、いつ、どこへ行っても、その生徒

の集まりの中で、話の中心になるような人物で、 当時から 彼の周辺には生徒

が集まっていったのです。



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   【 源田 實 第1航空戦隊航空甲参謀 海軍大佐 後の航空幕僚長



 源田が「 おうーーわりゃ なんしょうるんなら 【 広島の方言で あなたたちは 

なにをしているのですかと言う意味】。」 と 声をかけてきたので、私は、「 おーーう

源田、 今、わてらが乗り組む練習艦隊を眺めとったとこやがな。」と言うと、

井上 武男 生徒が、 「 高松の宮殿下は、3隻の内、どの艦に乗艦されるん

だっぺや。」 と 聞くと、源田は、「 おみゃーーらーー ねむい事を聞くのう。」

と言う、 私が、「 なんでやねん。」 と聞くと、 右手をすっと挙げて、装甲巡洋艦

の浅間のほうを指さして、「 わりゃ マストを見てみぃ。」 と言う、 私は視力が

弱いので、 目を細めていると、 「 あれよ、あれょ。」と言う、 源田と一緒にいた




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                       【 右下が中将旗 】


山口 博 生徒 【 後の 大和の通信長 海軍大佐】 が、「 じゃけいのう、浅間に

中将旗がひるがえっているところを見りゃー、 出雲、 八雲、 浅間の3隻の内、

練習艦隊の旗艦は、 浅間いうことでのう、 大概、 皇族は 旗艦に乗り組まれる

けぇ 高松の宮様は、 浅間に乗艦されるいうことよ。」 と言う、 私は、はぁーー

成績のよい生徒は、一を知って 十を知るといいますか、 たいしたもんやと

感心したのです。

すると、井上 武男生徒が、「 浅間に乗って 殿下のお供がしたいだっぺ。」と

言うと、またまた 源田が、「 どの生徒が、どの艦に乗るというのは 概ね、

274人の生徒を3で割ると、 91、2名 程度となるので、 ハンモックナンバー

の1番から、91番程度が、浅間 組 言う事じゃろうのう。」と言う、 余計なことに

「 淵田生徒、貴様は、 中将旗の判別が付かず、 旗艦の見分けもつかんようでは

殿下のお供は、 難しいのう、 のう山口生徒。」 と言うので、 むっと来ていたら、

山口生徒が、「 ほんまよう、 ぼれーやばいど 【 広島の方言で、ほんとうに、

いけない と言う意味 】 こんなーー 卒業は出来んかもしれんのう。」 と



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         【  大正13年当時の 高松宮宣仁親王殿下 】


からかわれたのです。

 源田達は、「 わしらーー 浅間の乗り組みは決まりじゃのう、 次に家に帰省

したら、家のモンに自慢話ができるのう。」 と、話をしながら、立ち去ったのです。

かれらは成績がよいので、 殿下のお供で、旗艦に乗れるのは間違いないと

当時 思っていたようです。

私と井上生徒は、なんとか 装甲巡洋艦 浅間に乗艦できない物かと、智恵を

搾る事になっていったのです。

 また いつもの、1番に手をあげて 志願して 先陣をきろうとそう考えていたの

 です。 

【 明日に続く。】