第1592回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1591話 帽子ふれの事。 2016年8月3日 水曜日の投稿です。
【 大正13年当時の装甲巡洋艦 八雲 やぐも 艦長 鹿江 三郎 海軍大佐 】
私達が乗り組んだ 装甲巡洋艦の八雲は、 源田達が乗り組んだ出雲が出港
して しばらくすると、 静かな夏の海面が光る江田内の海をゆっくり、ゆっくりと
動き出したのです。
ラッパ信号が鳴って、 「みんな 別れの挨拶をせよ。」という意味合いの音楽が
吹かれたので、 頭の上の制帽をとって、右手で、頭の上を こうーー 円を描く
ように、ゆっくりと帽子を回したのです。
赤塚 栄一【後の 白濱 栄一 海軍大佐】部隊指揮官が、「 帽子ふれーーっ。」
と、大声で発令すると、 私達は一斉に帽子をふったのです。
「帽子ふれ。」 と言うのは、当時、日本海軍の別れの意志表示で、
答舷礼の状態から、 帽子を取って、 頭の上で、ゆっくりと、ゆるりゆるりと
円を描くように、回して、相手に別れを告げる、 つまり、この場合、 短艇に
乗って、 オールを垂直にたてらせて、 見送ってくれている、後輩の 第53期の
在校生や、 海軍兵学校の西側護岸に集合して、見送ってくれている、教官、
家族達に、 私達は、帽子をふって、 別れを告げたのです。
ところで、よい機会なので少し紹介しますと、 当時の大正時代、 戦後の映画
で、「帽子ふれ。」が紹介されていますが、見ていますと、どのシーンもダメなわけ
です。
どこがダメか、 それは、帽子を頭の上で回す速さが 早すぎるのです。
映画のような シーンを 大正時代の当時に行いますと、品位のない、下品な
行為と言う事で、制裁訓練ものでありました。
ところで 話は 八雲に戻って、 私達は、別れの挨拶である「 帽子ふれ。」を
答舷礼の配置で整列して、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、 心を込めて、「 江田島と
お別れや。」と、 名残惜しく、 帽子ふれを行ったのでした。
「 ぶぅぉーーーーーー、 ぷぉっーーーーーー。」と、 汽笛が鳴り、胸に
じぃーーーんと響いたのです。
【 明日に続く。】