第1593回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1592話 万歳三唱の事。 2016年8月4日木曜日
当時、答舷礼をして、 「帽子ふれ。」 とラッパ信号が鳴り、 一斉に心を込めて
頭の上で ゆーーるり、ゆーーるりと、帽子を回して、私達は、見送りに答えたのです。
少し進むと、 海軍兵学校に入りきらなかった人達が、江田内の西の土手に
ずらりと陣取り、私達を見ていたというか、 私が乗り組んでいた 八雲【やぐも】を
見物していたようですが、 少しすると、「 大日本帝国 ばんざーーい。ばんざーい
ばんざーい。」 と連呼して、 大勢でうねりのような叫び声が聞こえ、日の丸の旗
や、軍艦旗の小旗を、振ってくれているのが見えたのです。
【 当時の江田島の人達の見送り状況 】
私達は、海岸沿いに ずらりとならんで、 バンザイ してくれている人に
ど゛ういうわけか、嬉しくなり、 そして、心の中で、 この江田島、 この皇国【おくに】
をこの手で、守らなければならないという、使命感を感じたのです。
ところでみなさん、この 万歳三唱 いつ始まったかご存じですか、 この万歳
と言うのは、 中国の明の時代に始まったと言われていて、 皇帝が長生きで
きるようにという 意味があったようです。
それ故、 萬の歳 と書くわけです。
この万歳三唱を日本で始めたのは、文部省でありました。
明治22年の2月11日の陸軍の演習場で、 森 文部大臣が挨拶の時に、訓示
し、 みんなの前で 「バンザイを行う。」 とやったのが始まりと言われています。
「 大日本帝国 ばんざーーい、ばんざーい、ばんざーーい。」とやると、
「その意味合いはなんや。」 と 聞かれると、 「大日本帝国が 長続きして
繁栄しますように。」 と言う意味があるようです。
当時、 「支那人【 しなじん 中国の人の事】のバンザイを模倣するとは 不届き
千万、 何事か。」 と、批判もあったそうですが、 文部省が、宣伝して、いつしか
大正時代には、 そんなことを言う人は消えていき、 日本の作法になって行った
のです。
当時は、 軍人は、敬礼及び、帽子ふれ で見送り、 一般の人は、バンザイに
国旗や、軍艦旗の旗をふって、私達を見送ってくれたのです。
【 明日に続く。】