第1598回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1597話 海軍ハンモックの事。 2016年8月10日水曜日の投稿です。




 

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   私達 海軍兵学校 第52期卒業生の士官候補生の真ん中あたりより後の

先任番号の候補生が案内されたのは、 まあーー なんと廊下の様な場所で

あったのです。

 案内役の 押切 玉五郎なる 自分より少し年下の一等水兵に対して、私は

「 貴様、本当にここなんかいな。」と、 不満そうな顔をして 苦情を言おうとする

と、向こうから、猿田 泉蔵という一等兵曹がやってきて、 「 ここのフックにかけて

あちらのフックにかけてーー云々と説明を始めたのです。



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   艦艇勤務というのは、 幹部の佐官は二畳から三畳程度の粗末な薄暗い

個室があるのですが、それ以下の人達は、ほとんどがハンモックで寝て、起きたら

きれいにたたんで、収納庫に山積みして、寝ていた場所は 違う用途に使用していた

のです。

それだけ、700人程度の乗組員に対して、スペースが不足していたのです。 




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             【 戦闘態勢、 ハンモックを取り付けた状態 】



ところでこのハンモック、 「 砲撃戦よーーい、戦闘配置に付け。」などと、命令が

出ると、 陸上戦で使用する土のう袋の代わりに使われていたのです。

つまり 砲弾の破片を受け止めるクッションに使用されていたのです。



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 ところが このハンモック、 ミッドウエイ海戦で火災の原因になっていったのです。

時代は進んで昭和17年6月 私が乗艦していた 空母赤城は初めはそうでもなく

黙々と煙が飛行甲板の穴から出ている程度で、艦橋にいた 源田達も爆弾が

命中したことがわからない程度であったのですが、その後、大爆発となり、当時

私と 赤城の艦長の青木海軍大佐と2人きりの状態となり、艦橋に取り付けていた


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ハンモックが勢いよく燃えだして、「 あかん、もうおわりや。」と思う程度やばく

なり、 青木艦長がロープを持ち 私は赤城の窓からロープで避難する事に

なるのですが、 当時を思い出すと、みなさんにお話ししても信じていただけない

かもしれませんが、鉄の上に塗装してある塗料、つまりペンキが、どういうわけ

か 大変良く燃えるのです。 その炎が鉄を焼いて赤くなりハンモックを焼いて

いったのです。 


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   そのような事情で、それ以後に建造された艦というのは、木や燃えやすい

  燃える物というのは極力 艦から取り外されていったのです。

  私達は、 夏の暑い7月後半、薄暗い艦の廊下の様な通路で寝ることに

  なって行ったのです。

  【 明日に続く。】