第1600回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1599話 高松宮殿下の部屋の事。 2016年8月12日金曜日の投稿です。
私達が、薄くらい通路の様な場所にハンモックを吊って、暑い眠れぬ夜を
過ごしていたのですが、 風が入らない艦内にさらに、大勢がハンモックを数珠
つなぎにして、ならんで寝る訳ですから、 大変に蒸し暑くなり、当時、そうーー
艦は揺れなかったのですが、 今まで 戦後で言う ベットの様な場所で寝ていた
私達は、ハンモックになれるまで大変であったのです。
ところで、私達の乗艦していた、八雲の前を航行する、 練習艦隊の旗艦 浅間
に座乗されていた 皇族 高松宮殿下とその一行は、どんな場所でお過ごしに
なっていたかというと、 後に、陸【おか】に上がったときに、聞いたのですが、
【 大正13年当時の 高松宮宣仁 殿下】
司令長官の使用する部屋に入られ、 司令長官や幕僚は、遠慮して別の質素な
物置のような場所に移動して、浅間の艦内で過ごされていたようです。
それは、私達が 海軍将校になったら、洋風のよいサロンに、当番兵の給仕
附きのよい部屋で楽勝で過ごせるという風に聞いていた、 そんな感じの部屋に
お入りになり、 お付きの人も、別の部屋で、和室のような場所があって、くつろが
れていたそうです。
料理人2名が、洋風、和風を交互に作って、 それを召し上がっていたそうです。
そんなお話を、別の少尉候補生から私は聞くことになったのですが、当時は
私も若かったので、 そのような艦内生活を「 えーーーなーーーーっ。」と
あこがれていたのです。
【 海軍兵学校 第52期 浅間部隊 集合写真 大正13年撮影 】
しかしながら 同期の面々は、やはり私達同様に、大変な思いをして、浅間の
廊下の様な場所で 寝ていたそうです。
私達は、 1924年 大正13年の7月23日木曜日の蒸し暑い眠れぬ夜を
過ごしていったのです。
【 明日に続く。】