第2274回 岡山県瀬戸内市の稲穂を楽しむ。模型公園風
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2016年10月10日月曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは、朝方雨が降って、日中は晴れ間に
なったり、曇り空になりました。
夕方のお茶のお話しです。
知る人は少ないのですが、 遠い昔、大和朝廷の頃、 この地方は、我が国
の対、朝鮮半島の外交の舞台であったのです。
呼ばれ、 大伯郡と書いて、 おくぐん と言ていたようです。
大宝律令の前後は、 大伯評 【 おおはくこおり】 と呼ばれていた記録が
あります。
当時、 この地に 吉備海部直一族 【 きびあまのあたい いちぞく】という
を行っていたそうです。
多くの難民が、船で、この邑久郡にやってきたようです。
住み着いたそうです。
その人達が、 この地で始めた焼物が、 すえ と言う灰色の土器でした。
スエッ と呼ばれた、 朝鮮半島の灰色土器は、登り窯で高温で焼かれ
堅く、割れにくかったので、 人々に重宝され、たくさん作られていったのです。
朝鮮の 百済で スッエッ と呼ばれたいた 焼物は、 須恵器 と当て字が
出来て、 日本では、すえき と呼ばれ、 この灰色の土器が、備前焼の
前身の焼物です。
そして、 備前焼となって行ったのです。
備前焼の 破片の断面が、灰色の物が多いですが、 灰色土器の須恵器
を原点としていて、 それまで 日本の焼物は800度程度で 焼いていたので
よく、割れたり、破損したり、 耐久性が悪かったようです。
1000度から1200度の高温で焼くので、石のように堅く、堅固であったのです。
こうして、この瀬戸内市周辺でも どんどん作られ、船に乗せられて、いろんな
場所に 交易で送られ、 使用されていったようです。
今日のお茶碗は、 備前焼の作家 小寺さんの作品です。
美術的価値は無いのですが、 こうして 勉強して楽しむと、 楽しいお茶の
時間が楽しめます。
みなさん、室町時代というのは、砂糖などありませんから、御菓子と
言うと、 季節の果物の事だったのです。
だから、 くさかんむりに 果物の 果 を書くのです。
季節の甘いものをお茶と一緒に楽しむ、 これが、江戸時代の初めまでの
お茶のお菓子でした。
そろそろ、柿の季節です。
そろそろ 瀬戸内市の田んぼも、稲刈りのシーズンです。
あいにく、 日光が陰って、 今ひとつの写真になりました。
今日は、上を飛ばして、 スプーンでずくし柿を楽しみました。
今日は、煎茶で 夕方のお茶を楽しみました。
今日の夕方も なかなか美味しい お茶でした。
じゃあ、みんな また明日ね。
【 明日に続く。】