第2274回 岡山県瀬戸内市の稲穂を楽しむ。模型公園風

みなさん、こんばんは、模型公園です。 2016年10月10日月曜日の投稿です。




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        今日の模型公園の家の近くは、朝方雨が降って、日中は晴れ間に

        なったり、曇り空になりました。



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        今日は 岡山県 瀬戸内市の稲穂の風景を楽しみながら

        夕方のお茶のお話しです。



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     岡山県備前市瀬戸内市は、邑久郡 【 おくぐん】と言って、 最近は

   知る人は少ないのですが、 遠い昔、大和朝廷の頃、 この地方は、我が国

   の対、朝鮮半島の外交の舞台であったのです。

   日本書紀を研究すると 和銅六年 【713年頃】 この地方は、大伯郡と

   呼ばれ、 大伯郡と書いて、 おくぐん と言ていたようです。

   大宝律令の前後は、 大伯評 【 おおはくこおり】 と呼ばれていた記録が

   あります。

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   当時、 この地に 吉備海部直一族 【 きびあまのあたい いちぞく】という

   権力者の一族がこの地を支配し、 朝鮮半島百済に援軍を送ったり、交易

   を行っていたそうです。

   日本の大和朝廷は、百済 【 くだら】と言う 朝鮮半島の国と友好関係にあり、

   中国の唐と、 朝鮮半島の 新羅 という国に攻められ、国が崩壊してしまい

   多くの難民が、船で、この邑久郡にやってきたようです。

   秦氏 【 はたし】 漢 【 かんし】 など 多くの人が難民となって、邑久郡

   住み着いたそうです。

   その人達が、 この地で始めた焼物が、 すえ と言う灰色の土器でした。

   スエッ と呼ばれた、 朝鮮半島の灰色土器は、登り窯で高温で焼かれ

   堅く、割れにくかったので、 人々に重宝され、たくさん作られていったのです。



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   朝鮮の 百済で スッエッ と呼ばれたいた 焼物は、 須恵器 と当て字が

   出来て、 日本では、すえき と呼ばれ、 この灰色の土器が、備前焼

   前身の焼物です。

   吉備の国、 邑久郡で、 朝鮮半島百済の焼物 スッエッ が 須恵器となり

   そして、 備前焼となって行ったのです。



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    備前焼の 破片の断面が、灰色の物が多いですが、 灰色土器の須恵器

   を原点としていて、 それまで 日本の焼物は800度程度で 焼いていたので

   よく、割れたり、破損したり、 耐久性が悪かったようです。



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   そういう 邑久郡に、百済人が、やってきて、 登り窯を作って、焼く須恵器は

1000度から1200度の高温で焼くので、石のように堅く、堅固であったのです。



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   こうして、この瀬戸内市周辺でも どんどん作られ、船に乗せられて、いろんな

  場所に 交易で送られ、 使用されていったようです。

  今日のお茶碗は、 備前焼の作家 小寺さんの作品です。

  美術的価値は無いのですが、 こうして 勉強して楽しむと、 楽しいお茶の

  時間が楽しめます。



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   みなさん、室町時代というのは、砂糖などありませんから、御菓子と

   言うと、 季節の果物の事だったのです。

   だから、 くさかんむりに 果物の 果 を書くのです。

   季節の甘いものをお茶と一緒に楽しむ、 これが、江戸時代の初めまでの

   お茶のお菓子でした。




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       本日は、 岡山県津山市の ずくしの柿を楽しみます。

       そろそろ、柿の季節です。


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            そろそろ 瀬戸内市の田んぼも、稲刈りのシーズンです。



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     あいにく、 日光が陰って、 今ひとつの写真になりました。



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        今日は、上を飛ばして、 スプーンでずくし柿を楽しみました。



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                今日は、煎茶で 夕方のお茶を楽しみました。

  

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              今日の夕方も なかなか美味しい お茶でした。

                じゃあ、みんな また明日ね。



          【 明日に続く。】