第2352回 囲碁発祥の地 岡山県矢掛町を訪れる。 模型公園
みなさん、こんばんは模型公園です。 2016年12月3日土曜日の投稿です。
みなさん、 白い石と 黒い石をならべる、囲碁【いご】と言うのをご存じと
思いますが、 今日のお昼から天気がよかったので、 囲碁の発祥の地を車で
プチ旅行に行ったお話しです。
川沿いに、 吉備 真備公のゆかりの地公園というのがあるのです。
早速、 車から降りて、テクテクしてみました。
数日前にご紹介した、 中村川の紅葉の記事の場所の 東となりの町で
矢掛 と書いて、 やかげちょう と読みます。
吉備の國 というのは、桃太郎などで有名ですが、 遠い昔、飛鳥時代には
と言われていました。
いつ頃、分割されたのかというのは、はっきりしていなくて、 最新のお話では、
と伝えられています。
駐車場から テクテクすると、 忠魂の碑がありました。
文字によると、川村 景明 陸軍元帥 による 文字みたいです。
軍人です。
ちょうど 小説 昭和の伝道師で紹介している、九連城あたりの
鴨緑江地帯の 司令官だった人です。
ここは、奈良時代の右大臣の 吉備 公 というえらい人の屋敷跡
で、 ここで 囲碁 が発祥し、 世界に広まったそうです。
ふぅーーん、 すごいですね。
さっそく、 参拝することにしたのです。
結構、古そうな、鳥居がたくさんあります。
この上に 石を飛ばして、 鳥居の上に石がのっかると、良いことが
あるそうです。
「 神様、模型公園です。 お金は無くても良いので、病気にならない
ように、好きな品物に囲まれて、心穏やかに暮らしていけるようにお
守りください。」 と、御願いしました。
西側には、 吉備 真備公の 銅像がありました。
この右大臣様が 囲碁をはじめたらしいです。
なかなか立派な、像が建てられています。
この石碑の文字によると、 吉備 真備公 と言う人は、奈良時代の
平城京時代の 右大臣だった人みたいです。
当時としては、 唐の都などを訪れて、 見識の高い人で
あったそうです。
ところで、大仏様のお話では、 上の山の上に 室町時代、猿掛山城
というお城があって、 本日の目的は、ここのお城の西側の殿様の
墓地を見に行くとかーーーー。 またまた 病気が始まったのです。
あの山の中腹のお寺にあるらしいです。
やっと、山の上のお寺に到着しました。
僕たちが行ったときは、和尚さんは留守で、 お寺のおばあちゃんが
いらっしゃったので、 色々墓石の由来のお話しを聞きました。
ここ 矢掛町は、 花房志摩守 五千石 の領地だったそうです。
ここが その 花房家のお墓だそうです。
さすが、五千石の大身のお墓ですね、 庶民の墓地とは格式が
違うようです。
最近というか、近年 整備し直してあって、 きれいに整え
られています。
僕も、お墓を建てるときは、 こんな感じの石が風格があって
良い感じです。【 当分 死ぬ予定はありません。】
僕は、 いろんな墓石を見ていて感じたのですが、墓石の
表面の文字が風化して 見えなくなるような墓石は よくないと
思っています。
それは、どうしてかというとね、墓石が風化し、文字が見えなくなる
と、 誰の墓かわからなくなり、 その先 どうなるかというとね、
その後は、自分の墓石が粗末に扱われるようになっていきます。
みなさんの中で、 墓石に小さな字で、いっぱい字を入れる人が
時々いらっしゃいますが、100年すると 風化して、字が読めなく
なります。
先々の事を考えて、文字を大きく、深く掘って、 文字が見えなくなる
様な事にならないように、 墓石を作る必要がありそうです。
ここは、弥高山と言って、 昔の銅山があったところです。
今日はその後、 東側に銅山の鉱跡を見に行って、 そこから
岡山県 水島の瀬戸内海の風景を撮影しました。
今日は ほんとうに 良いお天気でした。
【 明日に続く。】