第1839回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1838回 対馬 ポサドニック号事件 小栗 忠順の外国奉行辞任の事。


                        2017年6月2日金曜日の投稿です。



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           【 江戸幕府の新鋭艦であった 威臨丸 かいりんまる 】


  江戸時代の 威臨丸【かいりんまる】 という艦艇は、 昭和で言うと そうーー

戦艦 大和 や 武蔵 の様な感じの存在の艦艇で、 この 威臨丸 に乗って

対馬の ロシア人占拠事件の交渉に行って江戸に帰ってきた 外国奉行 小栗

忠順 【 おぐり ただまさ】の報告を聞いた 江戸城の老中達は、問題を解決し、

ロシア人を追い払って戻って来たのかと思っていたら、 実は、様子を見に行った

程度の報告に、「 そのほう それでは、子供の使いではないか。」と、腹を立てた

のです。


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  そして、 外国奉行 小栗 忠順が老中達に差し出したのが、対馬府中藩 5万

石の転封嘆願書であったのです。

つまり、 対馬を幕府の天領にして、 藩主の 宗 義達 を 内地のどこかの領地に

国替えをお願いしたいという内容であったのです。

これを聞いた、老中達は、激怒して、「 なっ 何事であるか。」 「 大切な事は、

対馬を不法占拠しているロシア兵とロシア船の退去ではないか、 その方 いったい

対馬に何をしにいってまいったのか、 どうして、威臨丸で ロシア人を追い払わな

かったのか、 不届き 至極。」 と、 罵声を浴びせたのです。



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すると、外国奉行 小栗 忠順は、「 威臨丸と対馬府中藩藩士のネジを巻いて

ロシアと戦えば、もしかしたら 勝てたかも知れません。 しかし、御老中方がた、

その先はいったいどうなさる御所存でありまするか、 ロシア帝国が大挙して艦隊を

我が日のもとに派遣し、対馬や、函館ならまだしも、この江戸に攻め寄せて来た場合、

そして、負けた場合、 清国のように 多額の賠償金を請求され、金で済めばよい

ですが、 対馬をよこせ、 佐渡をよこせ、 函館をよこせ、 能登をよこせと、

申し立ててきた場合、 どうなされるのか、 ここは、隠忍自重し、あくまでも平穏

に退去をロシア側に請願いたしーーーー云々。」 と、申立てると、老中達は、

「えぇぇぇぃ 指図がましい、 無礼であろうが、 旗本の身分をわきまえよ。」

「 その方、屋敷に立ち戻り、謹慎しておれ。」 と、老中が申し渡したところ、



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                     【 外国奉行 小栗 忠順 】


   「それがし、 これ以上 外国奉行を務められませぬゆえ、 職を辞したく

  思います。」 と、 静に語り、その場を去っていったそうです。

  この場合、 財政破綻して、朝鮮との外交や対馬の防備が出来なくなっている

 宗 義達 をどこかに 国替えし、 対馬天領にして、幕府が直接、海防にあたり

 そして、ロシア側とあくまでも戦争にならないように再交渉すべきであるとの、小栗

忠順の考えは、当時の老中達に拒絶されたのです。

  まず、対馬府中藩 宗氏を 別の領地に転封させるには、 今度はどこかの藩を

取りつぶすか、 天領であった領地に宗氏を移すかする必要があったのですが、

京の都では、 勤王の浪士が大暴れして、治安が悪化する一方で、当時、悠長な

事をやっているヒマはなかったのです。



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 幕府が 遠い 対馬に軍勢を送り出すにしても、 当時 幕府の金蔵も資金が

とぼしく、 ロシアと戦争をして、その地で勝利しても、 その後、ロシアと全面戦争に

なった場合、 江戸幕府に それを防ぐ力が無いと悟った 江戸城の老中達は、

思案したあげく、別の方法をとったのでした。


      【明日に続く。】