第1871回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1870話 雲揚号事件 3日目の第2次攻撃作戦のこと。

                       2017年7月5日水曜日の投稿です。




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    1875年 明治8年の9月22日 午前7時18分頃、 日本海軍は、朝鮮の

    首都 漢城 【現在のソウルのこと】の西の江華島の朝鮮側の 永完城に対

    して、朝鮮側の大砲の砲弾が届かない 沖合に停泊し、 遠くから一方的に

    射撃を加えだしたのです。


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   朝鮮側も、 陸上の砲台より反撃、砲撃を行ったのですが、ことごとく、日本

艦艇に届く前に、手前の海面に砲弾が着弾し、 日本側の砲弾に 被害が続出、

わずか20分ほどの戦闘で、撃破され、 撤退をしていったと伝えられています。



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         【部隊指揮官 雲揚艦長 井上 良馨 【よしか】 海軍少佐 】




   井上 良馨 海軍少佐は、望遠鏡で朝鮮側の陣地を観察した後、前日に続き

  雲揚 特別陸戦隊を編制し、 兵力3個小隊を短艇に分乗させ、陸地に向かって

  進撃させたのです。


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   朝鮮側は、一旦 砲弾の届かない背後の山中に転進して、 負傷者などの

  看護にあたったようです。

  朝鮮側では、清国渡りの 前込め式の青銅の鋳造砲では、日本側の艦載砲

  に太刀打ち出来ないと悟ったようです。



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   その後も、 日本海軍の艦砲射撃は続き、 陸戦隊の上陸作戦の支援

  射撃を行って行ったようです。


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  朝鮮側の海岸の陣地は、わずか1時間程度で、日本海軍 雲揚特別陸戦隊に

よって、占拠され、 朝鮮側の戦死者は 35名程度の遺体が転がっていたと

記録があります。


  【明日に続く。】