第2006回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2005話 甲申事変【こうしんじへん】 巨文【コムン】諸島占領事件の事。


                          2017年12月10日日曜日の紹介です。




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      【 若い頃の 牧野 【 大久保 】 伸顕 公  鹿児島県出身 】




  【 前話の続きから。】


   昭和の初頭、 昭和天皇から信任が厚かった、宮内大臣、 しんけんさん 

 こと、牧野 伸顕 公は、 明治維新の元勲 大蔵卿 大久保 利通 公の



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 次男で、 戦後の内閣総理大臣 吉田 茂 先生の 義理の父で、 元 内閣

 総理大臣 麻生太郎 先生の 曾爺さんにあたる人ですが、 しんけんさん は

 当時、同じ 薩摩出身の 西郷 従道 農商務卿にしたがって、 太政官 書記

 官 という立場で清国の天津で清国との和平交渉に随行していたそうです。

 
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   日本の長崎に集結していた、イギリス東洋艦隊が、姿を消し、 その後、

  朝鮮半島の コモン諸島を占領したという話を西郷 従道 公らに外務省から

  の電報として伝えたそうです。

  「 牧野どん、ほんとうでごあんど。」 と、問われ、「 そのようでごあす。」と

  回答したと言われています。


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  同席していた、伊藤博文公が、 「 えらいことになったもんじゃのうーー。

  コムン諸島言うたら、どこかーーっ。」 と聞くと、 「朝鮮と、九州の中間の島

  でごあんどっ。」と、言いながら 地図をスルスルすると開いて、 一同、その

  地図に見入ったと言われています。





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          【  巨文島  コモン諸島  英国領名 ポート ハミルトン 】


  このコムン諸島に、日本の長崎から 英国の東洋艦隊が出撃し、占領した

 と言うニュースは、当時の東アジアに雷鳴のように響き渡り、 伊藤公らも

 驚いたのですが、 交渉相手の 清帝国の 李鴻章【りこうしょう】達に、強烈な

 圧力を加えたと言われています。



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         【 清帝国全権 北洋大臣 李鴻章 りこうしょう 】


  彼等から見ると、 世界の大帝国であった、大英帝国が 日本側について

  朝鮮の軍事拠点を制圧したと 見えたようです。

  そして、 フランスだけでなく、大日本国や、大英帝国まで敵に回して、戦争は

  出来ないと思わせ、 大日本国側に少しは譲歩して、円満に事を治めよう、

  それが、自分達 清帝国の為であると思う様になったようです。


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   ところで、イギリスの東洋艦隊が、この巨文島こと、コムン諸島にどうして

 清国と日本が和平交渉で、天津でもめている時に、軍事侵攻に至ったのか、

 当時、 誰も知る人がいなかったそうです。

  その後の 言い伝えとして、 イギリスの諜報員が、 大朝鮮国の重臣

 当時のロシア帝国に接近し、 このコムン諸島を売り渡そうとしているとの情報

 を得て、 ロシア側が上陸する前に、 イギリス海軍に押さえてしまえと、イギリス

 本国政府が緊急命令を出したと言われています。

 当時、大朝鮮国は経済破綻し、 ロシア帝国に コムン諸島を売り渡し、その

 得たお金でとうざを工面しようとしていたと報告があった様ですが、そんなお話し、



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   清帝国も知らず、 大日本国も知らず、 まったく 当時は寝耳に水のお話し

  であったそうです。


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   後の 清国の調査や、大日本国の調査で、 このロシア割譲のお話しの

  情報は本物で、両国は イギリス情報部の能力に舌を巻くことになって行った

  のです。

  ロシア帝国は、 巨文島に軍事要塞基地と港湾を整備し、ここを拠点に、日本

  や朝鮮や清国への進出の足がかりにしようとしていたそうです。

  この島、天然の良い港となっていて、 おまけに 飲料水が豊富で、

  戦略的 重要拠点であったのです。

  しかしながら、当時、 大朝鮮国の政府の重臣の だれがロシア帝国と秘密に

  交渉し、 これらの絵を描いていたのかと言う事については、わかってなかった

  そうです。



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                    【 当時の北京のイギリス公使館 】


    清国政府は、 当時 属国の 大朝鮮国の南端の島の占拠について、

  自国領ではないので、 強く イギリスに撤退を求められなかったようです。

  つまり、 フランスと戦争中で、 大日本国とも武力衝突し、 さらに イギリス

  と戦火を交えるわけにはいかないと考えていた様です。



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   いったい、 大朝鮮国の政府の誰が、このような秘密の交渉をロシア帝国

 行っていたのか、 初めは 清国人を利用していたのですが、 壬午事変で、

 立場が逆転し、 清国人に 行政、財政、司法、外交の権利を奪われしまい、

 ロシア帝国を利用して、 清国人を追い出して、 朝鮮人の手に政治を取り戻そう

 という人達が隠密に進めていた計画であったそうです。

 さらに、元山の周辺の地域も ロシア側に身売りして渡して、その得たお金で、

 清国人や、日本人を追い出し、 ロシア人を上手に動かして、 自らの安泰

 を図ろうとする一派の存在がわかってきたのです。



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  袁世凱将軍は、 このことで 面目丸つぶれとなり、 いったい 誰が

 ロシアと秘密裏に接触し、 事を進めていたのかを 隠密に調べるように

 なって行ったと言われています。

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   大朝鮮国と言う 国が無くなっていった原因は何かと言うと、 外国の

 軍隊を利用して、政権の維持を保とうとしていった、 結果、 初めは 清国、

 後に ロシア、 そして 日本という国の軍隊を 朝鮮に招き入れてしまった。

 そして、 招き入れた国の軍隊が、暴走して、コントロールが出来なくなり、

 さらに、天候の原因もあるのでしょうが 不作が続いて、国庫が破綻し、

 貧乏な国に成りはてていき、 後に、国が無くなっていった、 そして、他民族

 に支配され、 多くの悲劇が生まれていった。


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  人ごとでは無く、 今現在でも同様で、私達日本人もこの事実について、よく

  考えてみる必要があると思います。

  
 

    【 明日に続く。】