第2035回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2034話 甲申事変【こうしんじへん】 徐光範らのアメリカ出国の事。

                         2018年1月8日月曜日の投稿です。



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    【 前話の続きより。】


  「 ここ 神戸は、貿易商人などから情報を得やすく、ここを拠点に日本で再起を

  はかり、国に戻るべきだ。」 と主張する 金 玉均氏に対して、 アメリカに移民

  すべきだという、 徐 光範氏らは、 逆に、「 玉均殿は そう言われるが、

  現実の問題として、日本政府に捨てられ、わずか9名で何が出来るのか、

  どうやって、 朝鮮半島に戻って 政権を樹立するのか、計画をお伺いしたい。」

  と、言われて 金 玉均 氏は、返事に当時 窮してしまったそうです。

  そして、 甥の 徐 載弼 氏 当時21才が、 「我々は これからです、

  ここ 神戸で生活費を稼ぐだけで 無駄な日々を過ごすより、 これからは

  英会話です。



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  福沢諭吉先生の様に、まず、アメリカ合衆国に渡って、 英会話を身につけ、

  西洋の風習を観察し、 それから次の目標を立て、 いずれは そのことが

  国家の礎になる日が来るに違いないと信じて、アメリカ合衆国に行って、後の

  事を考えるべきだ。」 と主張し、 朝鮮独立党は、分裂することになって行った

  そうです。


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                    【  朝鮮独立党 朴 泳孝 氏 】


   分裂を許可したのは、 メンバーの中で1番 身分が上であった、当時24才

  の寝たきりの 朴 泳孝氏であったと言われています。

  「 確かに、 福沢 諭吉先生の知識は、 ここ 日本で勉強されたことも多いが

   西洋を見分して得た知識は、 アメリカで勉強されたことが多い、 谷川に添って

   後を追い、 知識を得て、 いずれ国政に生かすことが出来る様努力すべき

   だが、 言葉もわからぬ、 知り合いの少ない、 アメリカ合衆国に行っても

   よほどの覚悟がないと だめであろう。」 と語り、 心配そうに許可したと

   言われています。



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   ところで、 徐 光範 氏 や、徐 載弼氏や、李 圭完 氏 らが去った後、

   金 玉均 氏らは、真剣に今後どうやって、朝鮮半島の政権を転覆させて

   自分達が権力を手にするか、考え出したのです。

   目先の生活費を稼いで、日々が過ぎていく当時、「 このままではいけない。」

   と、思う様になっていったのは 仕方のないことでした。



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               【  朝鮮独立党  金 玉均 氏 】

  みなさんでしたら、どうされますか、 こんなことは おそらく考えたことはない

でしょう、 朝鮮独立党で 1番の年上で、34才であった彼は、考えたわけです。

それは、1番に お金、 活動資金を集めることであったのです。

2番目に、 では、どうやって集めるのか、 外務省に行って 追い払われたように

生活費の支援を訴えたのでは、 乞食同然で、 日本人は見下して、塩を撒くに

違いない、 実際 そう言う人が当時多かったようです。

 そこで考えたのが、 大義名分を作り、 大義名分の基に、資金を集めることを

思いついたのです。

  その 大義名分とは、 福沢 諭吉先生の唱えていた、 興亜、 自由民権

 という 考えと、思想であったのです。


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  金 玉均 氏ら、朝鮮独立党は、 日本人に 知名度があった、福沢 諭吉先生

の弟子と、唱えて、 興亜 と 自由民権を唱えて、 日本人の運動家と接触し、

彼等に 興亜の精神を説いて、彼等を傘下にいれて 協力者にしたて、日本国内

で 貧乏している 元 士族などを メンバーに加えて、 資金を集めて、 武器を

調達し、 再び、 軍勢を整えて、朝鮮半島に兵を進める計画を作っていったの

です。


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   神戸を中心に、 当時の 自由民権派と呼ばれる 人達を訪ね、 福沢 諭吉

の弟子を名乗り、 接触し、 協力を求めていったのです。

 すると、 面白いように、 資金の寄付が集まっていったそうです。


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   その得た資金を使って 旅費とし、 その人物から聞き出した、自由民権派

の人の名前を聞いて、 その人物と、 その人物が主宰する政治団体に、接触

 「 自分は 福沢諭吉の弟子である。 慶應義塾の門下である。」と語り、まず

相手に インパクトを与え、 興亜、 日本と朝鮮を一緒に 民主憲法制定、

議会制民主主義の国にしなければならないと、 日本に、朝鮮を加えて、演説

して回っていったそうです。


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 現在の 大韓民国の国旗を考えて作った朝鮮独立党の朝鮮人の人達は、 

 東京の三田の慶應義塾の名前と人脈を利用し、 福沢 諭吉先生の名前を

 利用して、 資金を集め、 人を集め、 嘘を語り、 それを信じた 日本人の

 若い人達が、 彼等に惑わされ、 いろんな事が起きていったようです。

 毎日、少しずつ、教科書に出ていない、近代史をみなさん勉強して行きましょう。



【 明日に続く。】