第2111回  昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2110話 第2次露朝密約事件 前夜の事。


                     2018年3月25日日曜日の投稿です。



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   【 前話の続きより。】


   第2次露朝密約事件 というのは、 ちょうど 1886年 明治19年8月、


  清国海軍将兵の暴動事件こと、 長崎事件と同じ時期の 暑い8月に露見

 した事件であったと言われています。

 以前紹介した、第1次露朝密約事件とは、 東京府を舞台とした、 大朝鮮国

 と、ロシア帝国の秘密交渉の事件が露見し、 外務協弁 メレンドルフが失脚

 する事件の引き金になって行き、 袁世凱 将軍の権力がどんどん強まって

 いった事件でした。



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  この 第2次露朝密約事件も謎の多い事件で、いろんな説があって、

 国王 高宗がロシア帝国の ウラジオストックに派遣した 使者が 帰りの道中、

 事大党の 閔氏の一派に捕らえられ、 拷問の末、 すべてを歌ってしまったとか、

 ロシア帝国と交渉していた 朝鮮の官吏が、変節して、自らの身の保証と引き替

 えに、計画を 清国の袁世凱将軍に密告したとか、 いろんな説があって、はっきり

 していないようですが、  大朝鮮国 国王 高宗 から ロシア帝国に 秘密の

 使者が出され、その後、その事実を知ることになった 清国の袁世凱将軍が

 王宮を封鎖し、 国王 高宗を監禁し、 廃位させようと行動したということに

 ついては、すべての人が認めるできごとのようです。



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    国王 高宗の密書は何故作られ、 清国の官吏や、 事大党と呼ばれる

  清国に追随して、保身と身分を守ろうとした朝鮮人達に内緒で、ロシア国内に

  運ばれ、 遠く、 ロシアの首都の ロシア皇帝に送られていったのか、どうして

  その情報が、 清国側に漏れ、 国王 高宗は 監禁されることになって行った

  のか少しずつ 勉強して行こうと思います。

  そして、当時の 大日本国の政府はどういう対応を行ったのか、 国民はどう

  感じていたのか、 これが 日清戦争の 大陸派兵の素因になっていったよう

  です。


  【 明日に続く。】