第1131回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1130回 海軍兵学校 第51期 卒業式の事。

                      2015年3月28日 土曜日の投稿です。




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 大正12年7月に入ると、 海軍兵学校では自分達の1クラス【 当時の学年の事】

上の第51期の生徒の卒業式が開かれることになったのです。

首席の 卒業生は、以前紹介した 樋端 久利雄 生徒殿でありました。



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     【  山本 五十六 聯合艦隊司令長官と運命を供にした 樋端 生徒 】



自分が思うに、 この樋端 久利雄 氏が、太平洋戦争の海軍の全兵力を彼に

託して、 思う存分知恵を絞って作戦を遂行したとすると、諸葛 孔明のような、

変幻自在の戦法で敵を圧倒し、歴史が変わっていたかも知れません。

そういう、海軍兵学校始まって以来の優れた頭脳の持ち主でありました。

海軍兵学校に入学して、ずっとトップの成績で、 努力家でもあり、考査範囲

【戦後の試験の範囲の事 】 の 山をかけるというか、 考査に出題されるで

あろう、問題を特定する名人でもありました。




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次席の卒業生は、 山本 祐二 生徒 鹿児島県出身 後の第2艦隊参謀長で

           三席の卒業生は、 渓口 泰磨 生徒 広島県出身

           四席の卒業生は、 木坂 義胤 生徒 広島県出身

           五席の卒業生は、 小島 正乙 生徒 兵庫県出身

           ーーーーーーー以下 254名の卒業でありました。


           1番末尾の卒業は、 木梨 鷹一 生徒 後の海軍少将 

            大分県出身でありましたが、

           この人ほど、太平洋戦争で大戦果を上げ、 航空母艦

           撃沈し、ドイツまで潜水艦で往復をしてジェット戦闘機、 

           ロケット戦闘機の設計図を我国にもたらすなど、偉業を

           果たされた人はいません。




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多くの業績、足跡を残していくことになる、第51期生徒は、大正12年の7月14日

暑い江田島を後にして、練習艦隊に乗り込まれ、江田内から出港して行かれたの

です。



  【 明日に続く。】