第1183回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1182話 関東大震災 仙台の河北新聞の事。 2015年5月20日 水曜日の投稿です。
艦艇によって構成され、 第1水雷戦隊が 内地の沿岸警備を担当していたのとは
正反対に、 外洋にあって、 艦隊の主力を防衛するという そういう艦隊でありました。
通称、 「 飲み太郎。」 こと、 第2水雷戦隊 司令 飯田 延太郎 海軍少将は、
戦後の人は 知る人も少ないのですが、 飯田閣下には 一人娘がいて、 ずいぶん
かわいがっていたそうですが、 彼女の嫁ぎ先が、 古村家でした。
その嫁ぎ先というのは、 昭和20年 草鹿 海軍中将が、伊藤第2艦隊司令長官らを
説得して、「 国民1億特攻の先駆け。」として、沖縄に進撃して撃破された、 第2艦隊の
【 昭和20年の第2艦隊 司令部 】
アメリカ軍機の集中波状攻撃を受けて弁慶の大往生の如く、海中に没していった、
古村 啓蔵 海軍少将の義理の父親にあたる人でありました。
飯田閣下が、 持参した新聞というのは、関東大震災から5日後、初めて
横須賀鎮守府 幕僚が読んだ新聞であったのです。
飯田閣下が、「 宇佐川 仙台の河北新聞という新聞に、このような事が
書いてあるので 貴様等は、水中深く沈んでおるものと心配しておったのだ、
頭の傷程度すんで不幸中の幸いであった。」と、言われたのですが、 司令部の
参謀一同、その河北新聞なる記事を順番に読んで、 「 よくこのような事が書ける
物だ。」と、苦笑したのです。
最後に、草鹿海軍大尉に河北新聞が回ってきて、 拝見したところ、 「 号外 。」
とあり、 記事の内容は、おおむね次の如しであったのです。
陥没し、横須賀鎮守府付近は、渦浪逆巻いて居る。」 と言うような記事であったのです。
国内に及ばず、海外に対しても間違った情報として伝わり、 目下、極東に勢力を
我国の災害を利用して、攻撃に至るという事も 最悪予想され、 正しい報道発表を
行うべきであるとの考えに至ったのです。
しかしながら、日本国全土の新聞社が、 ちゃんとした取材を行わず、
想像で 記事を書いて、 おひれをつけて報道し、 日本全国津津浦々まで
新聞を配っていった結果、 大きな誤解と、事件が発生していったのです。
【 作者より 】
草鹿 海軍中将のお話では、関東大震災後の5日後に初めて地方の号外
と銘打った、新聞を手に取ったそうです。
関東大震災で 首都圏の新聞社は、 印刷所が破壊され、 社屋は倒壊し
火災に遭い、 新聞の発行は出来なかったようです。
そう言うわけで、 震災後の暴動の原因になったと批判するのは間違いです。
研究して見ると、 関東大震災から、数日後、 数週間後の日付の新聞がほとんどで
その多くが東京から遠く離れた地方新聞であったようです。
内容は、すべてが取材を行わない 推測による作文です。
当時の報道機関というのは、 取材に行きたくても 行けなかった、 そこで人からの
話を聞いたことなどを基本に、 新聞が飛ぶように売れるように 文書を作文して
いったようです。
つまり、自分の会社の新聞がたくさん売れ、 お金になれば良かった、
こういう間違った 商魂がウソの報道記事を作っていったようです。
当時の報道機関は、 金儲けに走り、 多くのデマの原因になっていったの
ですが、 これらの事を忘れてしまわずに、教訓として 今後の未来に生かして
行く必要があるようです。
【 明日に続く。】