第1179回  昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1178話 関東大震災 第1艦隊 到着ス の事。   

                                                 2015年5月25日 月曜日の投稿です。





          
大正時代の当時の聯合艦隊司令部というのは、第1艦隊の司令部を兼任して

いて、昭和に入ってからのように、 第1艦隊の司令部と、 聯合艦隊の司令部

が分離して独立した組織ではなかったのです。




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戦艦 長門 【ながと】艦長の 高橋 節雄 海軍大佐が、「 長官いよいよ東京湾

入ります。」 と、申告すると、  竹下長官は、「 艦長、 陸【おか】の上はどうか。」

と、聞かれたのです。


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   【  関東大震災当時の聯合艦隊司令長官   竹下 勇 海軍大将 】




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「 長官、 海岸はどこも津波が押し寄せたようで、ひどい有様であります。」と

言うと、





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「 左弦、11時方向、水平線 黒煙が見ュ。」  と、見張りの当直士官から報告

があったのです。



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  「  長官、 あの黒煙は 横須賀鎮守府重油タンクのようであります。 


   派手に煙を吐いていております。」 と言うと。


「  艦長、 どこかの艦船の煙突の煙の見間違いではないか。」と、竹下長官が

問うと、「 長官、 煙の規模が違います、 上空高々に 黒煙が上がっているよう

であります。」 と言う。



このようなやりとりを行いながら、 第1艦隊が 横須賀沖に到着したのは、地震

発生から5日後の1923年 大正12年の9月5日の 1400時前後であったそう

です。




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             【 関東大震災当時 最新鋭戦艦であった 長門 【ながと】  】



 ところで、 横須賀に長門は到着したのですが、 燎艦の 陸奥【むつ】は、 呉

に食糧、医薬品物資を積みに瀬戸内海に入り到着は数日後となり、伊勢、日向も




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続いて入港し、加藤 寛治 海軍中将の第2艦隊の金剛 霧島 比叡の各戦艦は

まだ、紀伊半島沖を全速航行中でありました。


 まだ、 揃わぬ聯合艦隊でしたが、 地震5日目にして、 戦艦 長門の艦内で

 関東巨大地震の 聯合艦隊の作戦会議が開かれることになったのです。




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  この検討会議には、横須賀鎮守府からは、横須賀鎮守府 参謀長 宇佐川

 知義 海軍少将と、 先任参謀の 小林 省三郎 海軍中佐が出席することに

 なったのです。


  【 明日に続く。】