第1275回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1274話 「 共産主義とは何か。」 の事。 2015年8月28日金曜日の投稿です。






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   1903年当時、 スイスで、ベニート ムッソリーニ先生が、レーニンから聞く

 事になった、 共産主義思想とは、 本来の共産主義とは違う、レーニン独特の

 ボルシェビキ つまり、 武装蜂起して、特権階級、 宗教指導者、 資本主義者の

 商人などを皆殺しにして、  皇帝や、貴族や、地主や、 商人や、教会の神父を



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 武力討伐して、根絶やしにして、 破壊してしまい。

 1人の指導者が、プロレタリアート【 独裁政治を行って】を行って、この革命を

 成し遂げるという、政治的考えであったのです。



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         つまり、 人殺しをして、 裕福な人から、金銭などの動産や 

        土地、建物などの不動産を取り上げて、 自らが一元管理し、

        みんなで少しずつ分配するという考え方であったのです。



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         これに対して、 話し合いと 合意に基づいて、平和な共産革命を

     成し遂げようとする考えが、 メンシェヴィッキと言います。

    上の写真の人達は、 レーニンの ポルシェビッキッ派と、メンシェヴィッキ派

    とに別れて、 殺し合いをするようになって行くのです。




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       ところで、 共産党によって全世界で、 数千万人、いや、 もっと多くが、

       餓死をしたり、処刑されたり、強制労働によって、多くの死者が出ていく

       のですが、原因の素因は、 私達 日本人の後方攪乱作戦にあった

       のです。



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       以前紹介したように、 共産主義を考えた、マルクス先生は、どんな

    人であったかというと、 儲かりそうな話を考えて、いろんな人から金銭を

    集めて、大金を集めては、 独特の考えの商売にその資金を使い込んで

    返済不能となり、ヨーロッパを夜逃げして転々とする、 こう言う人でした。

     彼は、フランスで、 またいつもの通り 儲け話を考えて、書籍の出版の

     事業を立ち上げ、 自らペンを取って、 作ったのが、 共産主義の本で、

     これを、 資本家に話をして、 資金を集めて、 大量に印刷して、ーー

     ここまでよかったのですが、 本が売れ残り、利益分配が出来ず、

     イギリスに 夜逃げするのです。

     本と言う製品を作って、 それを販売する 計画が 不備があり、

      当時の人は、 どこかのおやじが書いた、「 貧困をなくす政治的手法。」

     の本など、見向きもされなかったのです。

      金儲けの方法と、蓄財の方法の本なら 売れたかも知れません。




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         イギリスに 夜逃げした マルクス先生は、 小さな工場を経営する

         資本家のエンゲルス先生の家に、転がり込んで、 食事の世話を

         受ける、 つまり、 食事をめぐんでいただく、 そういう人でした。

         このような人の考えた 共産主義がうまくいくわけがないですし、

         金持ちになって、裕福になれるわけがありません。

         出来るのであれば、 著者のマルクス先生がよい暮らしをしている

         はずですが、 まったく 逆であったのです。




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         日露戦争の前夜、 山縣 有朋公は、 伊藤博文公と 打ち合わせして

         敵のロシアの後方攪乱として、 資金200万円を、 明石 元二郎

         陸軍大佐に渡して、 ロシア国内で、 破壊活動を行い、 同時に、

         敵国の中の 情報を 暗号電報で送る 諜報工作を開始するのです。




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         ストックホルムに駐在していた、明石 陸軍大佐は、 配下に金銭を

         ばらまいて、 マルクス先生の 共産主義の本を大量にばらまいて

         敵国のロシアの内部分裂工作をおこなったのです。



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          そして、 ストライキや、暴動や、ロシア国内が 混乱し、革命が

          おきていく原因になって行ったのです。



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         ムッソリーニ先生は、 レーニンの話を聞いたのですが、当時教師を

        やめたばかりの、 二十歳前後の年齢で、 皇帝や、商人や、 教会の

        神父や、地主を皆殺しにして、 教会、 商家、 王宮をことごとく破壊

        すると、武力革命によって、 多くの犠牲者が出た後、 古い体制が破壊

        され、その革命によって、 新しい物が生み出されるというお話は、当時

        理解が出来ず、 共産党には 入党しなかったようです。



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         共産主義とはなにかというと、 財産を人々から取り上げて、国家、

        つまり 共産党が集めて所有し、 労働者の平等な暮らしを求めていく

        という 思想ですが、  実際には、 略奪、 処刑の独裁政治で

        あったのは、歴史が証明しています。

        そういう風に 密告を奨励し、見せしめの処刑を行い、恐怖を与え

        ないと、 人々から 農作物や、物資は 集まりが悪かったのです。



        みなさん、 国王や、教会や、 地主は、 年貢として 耕作穀物

        約半分を 強引に持っていったのですが、 共産党は、全部持っていき、

        長年住み慣れた、家、土地も 奪い、 追い出され、 集団農場という

        他人の土地で強制労働させられ、 不満をしゃべると、密告され

        反共産革命分子として、 共産党の風紀委員に 簡単な裁判の後、

        見せしめのため 広場で、みんなが見ている前で残忍な処刑されたり、

        シベリア送りと言って、 極寒のマイナス50度の強制収容所

        こき使われて、 死んでいったのです。 

 


         つまり、 共産主義とは 本来は、労働者の運動という意味ですが、

         ドイツ語で、 プロレタリアート 独裁政治であったのです。



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    農民は、 共産党の宣伝を信じて、共産党を支持したのですが、 先祖

  伝来の土地や 家屋敷、 家畜に至るまで、 共産党員が来て、 国家の

  物だと、 いいながら、 農作物の収穫物を全部持っていき、 農民達には、

  必要な 食糧の配給があるはずでしたが、 実際は なかったのです。

  レーニンは、 すべてを 共産党本部に集めて、 自分達の物資として、

  戦争で、それらの物資を使用し、 農民を見捨てていったのです。

  結果、 多くの餓死者が出る結果となり、 チェッエッカー と呼ばれる秘密警察

  を作って、 農民が穀物を隠していないか、 密告を奨励していったのです。



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   そして多くの人が、 密告によって、 反革命分子として、処刑されていき、

   密告をした人に、食糧を渡し、  その人も、 他の人に事実無根の密告を

   され、 人民裁判にかけられて、 処刑されていくという 悪循環が続いて行き、

   多くの人が、家族が 死んでいったのです。




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       このような事情で、 ムッソリーニ先生は、ここ、スイスで、 社会党という

       自らの政党を作って、 日雇いで労働する 先々で、人々を勧誘して

       党員にして、 人々を集めて、 夜、演説をすることになって行くのです。



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       オペラ座の演劇を研究した ムッソリーニ先生の演説は、 両手を

       上手に使い、 間を上手にとって、 人々に語りかけ、 労働に疲れた

        貧困層の人々を、刺激して、 次々 入党者を増やしていったのです。



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         評判を聞いて 演説を聴きに来たレーニンは、 その才能に

         驚いていたそうです。

         「 いずれ、彼は 大物に変化して行くであろう。」 と、語ったそうです。



        【 明日に続く。】