第1392回 昭和の伝道師【戦中 戦後のパイロットの物語】
第1391話 政治家の卵の野望の事。 2015年12月25日金曜日の投稿です。
【 ドイツ労働者党 アイトン ドレクスラー党首 】
アイトン ドレクスラー党首という人は、 どんな人かというと、 元はプロイセン
王国のベルリンで鉄道技師として仕事をしていたようですが、 どのような事情
人で、1919年 大正8年9月の頃は、 35才 つまり、ヒットラーより5才年
上の人でありました。
【 当時のミュンヘン駅 周辺 】
彼には、野心があって、 ドイツ労働者党の党員を増やして、いずれは議員に
なろうという願望があったようで、その手始めに、自分の職場の同僚に声を
かけて、結成したのが、ドイツ労働者党であったのですが、党員は、54人程度
でみんな、日中は労働者として働いていて、党の仕事は出来ず、 専属の党の
職員はおらず、少ない寄付を集めて、会報をたまに発行する程度の、原始的
な政党であったというか、 彼等が党と呼んでいただけで、 現在で言う政党の
要件など満たしてはいないような、小規模な職場の集まりであったのです。
このような 貧弱な党組織で、 自分が選挙に出て、支持母体となるような
政党に育てるにはどうしたら良いか、 それには政治資金が必要でした。
政治資金を増やすにはどうしたらよいか、 役人のように権限もないので、
袖の下を取るようなことも出来ず、考えついたのが、党員を、鉄道駅以外の
町中や、 学校、 軍隊などの集まりの中から、 党員を勧誘していくことが
手っ取り早いと考えたのですが、 自身も含めて、日中は、鉄道労働者として
の仕事を行わなければならず、 そのような事情で、ヒットラーが 勧誘に
行ったり、 説明会に出たり、 日中の行事は、だんだんヒットラーが一手に
引き受けるようになっていった様です。
ヒットラーは 当時、便利の良い党員であったわけです。
こう言う事が続いて行くと、その先、どうなるかというと、ヒットラーと話して、
または、 ヒットラーの演説に魅力を感じて、入党してくる人が増えていった
のです。
数ヶ月すると、末端の党員は、 ヒットラーの演説を聴いて、ドレクスラーでなく
ヒットラーを支持する人が、新しい入党者として増えていったのです。
この時点で、ヒットラーが大きくならないように上手に手を打って
おけば良かったのですが、彼は安心していて、ヒットラーを放置していた
のです。
彼がどうして安心していたかというと、 彼が35才と若かったことも
あるのですが、自分が創業者の党首という自負心と、 党の役員を
彼の言う通りに動く人で固めていたのです。
そのような事情で、 ヒットラー1人など、どうでもなると考えていたよう
です。
ヒットラーと言う人は、 夜の討論居酒屋で、演説の弁士としての
店屋からの礼金などを受取り、 裏では、 ベルリン政府からの軍人
としての給料が入り、 以前行っていた、 挿絵の仕事や、 絵描きの
仕事には、この時点で、見切りをつけていたようです。
ヒットラーは、表では、 ドイツ労働者党の広報員や、 事務仕事を
行いながら、 党員の情報や、内部情報を集めて、 諜報司令部の
マイヤー大尉に情報を流し、 表面上は、ドイツ労働者党の弁士として
町中や、学校、工場に、党員の勧誘に歩いていたようです。
これは、表向きの仕事で、裏では、 諜報員として活動し、 ヒットラーも
この当時に、 政治家としての野望をいだくようになっていった様です。
つまり、彼は 諜報活動が終わるまで、ドレクスラーの御輿を担いで
色を出さぬように、ツメを隠していたのですが、 だんだんと、手元に
演説の礼金が貯まっていくに連れて、別の願望が沸いてきたようです。
【明日に続く。】