第1481回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1480話 宇垣 一成 陸軍次官の事。 2016年3月31日木曜日の投稿です。




イメージ 1


       
                   【 清浦 奎吾 内閣総理大臣 夫妻 】


   1924年 大正13年の1月5日、 陸軍省の 宇垣 一成 陸軍次官は、

  正月休み返上で、大変忙しい毎日を送っていたのです。



イメージ 2



             【 宇垣 一成 陸軍中将 岡山県 瀬戸内市出身 】



   宇垣さんと言う人は、 岡山県の現在の瀬戸内市の小学校の用務員をスタート

 に陸軍に入営し、たたき上げの苦労人で、 前年の9月の関東大震災の当時、

 兵庫県姫路市の第10師団長として赴任していたのですが、10月に入り、

 田中 陸軍大臣に指名され、白川 陸軍中将が、関東軍司令官に転出し、その

 後任として、 序列を無視して、田中陸軍大臣が 一本釣りする形での陸軍省

 №2のポストの陸軍次官の就任であったのです。

   そんな 宇垣 陸軍次官が、田中陸相に大臣室に呼ばれたのは、年始初頭

 であったのです。



イメージ 3



                    【 田中 義一 陸軍大臣 】



   「 宇垣、 貴様、新年早々、すまんが、陸軍参謀本部の河合 操 陸軍大将

 の所に、我輩の名代として、赴いて、 上原元帥が主張する、 福田陸軍大将の

 陸軍大臣就任要請の話を 潰してもらいたい。

 相手が、あの難しい上原元帥、 難儀をするであろうが、 我々が解任した

 福田 雅太郎 元戒厳司令官を、大臣には出来ん、最悪、 解任した、小泉、

 小山の事は、貴様に一任する、 話の進み具合で、相手との交渉のカードとして

 切れ、 陸軍大臣のポストは、なんとしても、我々長州閥で、押さえるのだ。」と、

 語ったのです。



イメージ 4
 


       【 陸軍の薩摩閥の実力者 陸軍参謀本部の 上原 勇作 元帥 】


   当時、上原元帥は、 前任の内閣総理大臣 山本 権兵衛 海軍大将と

   陸軍大臣の田中 義一 陸軍大将に対して、 関東大震災で 関東戒厳

   司令官を解任された 福田 雅太郎 陸軍大将を復権させて、陸軍大臣に、

   同じく、解任された、 小泉 陸軍憲兵隊司令官、 停職処分となった、小山

   東京憲兵隊隊長の 復職を求め、 警視庁の 湯浅警視総監と、正力 

   松太郎 刑事部長の懲戒免職を求めていたのです。



イメージ 5




   福田 戒厳司令官達は、東京憲兵隊に命令を出して、関東大震災での混乱を

 利用して、陸軍が 好ましからざる人物としてマークしていた、 共産党員、社会

 主義者、 労働運動家、などの面々を、 法律を無視して逮捕し、内々に警察署

 の留置施設で殺害し、それを 東京警視庁の、 湯浅 警視総監と、正力 刑事

 部長に、 後藤内務大臣を飛び越して、 山本総理に直訴され、 解任されていた

 のです。


イメージ 6



    田中 陸軍大臣は、東京憲兵隊の 甘糟 憲兵大尉が愛国心のあまり、

   越権行為で、部下の下士官と一緒に、暴走して起こした事件として処理した

   のですが、 上原元帥達、陸軍参謀本部の面々は、 勝手に 田中 陸軍大臣

   が参謀本部と調整することなく行った人事として、反発していたのです。



    宇垣 陸軍中将は、「  田中 閣下、 大変な事ですな。」と、困った顔をして

    いると、  田中 陸軍大臣は、「 我輩は、山本総理と一緒に 閣議で総辞職

    の署名をして、 数日後に陸軍大臣を辞職する。




イメージ 7


              【 清浦 奎吾 次期 内閣総理大臣 】



    我輩は、次の内閣の清浦 内閣は、 清浦の爺さんの年齢、政治基盤から

    1年、いや、半年もしないうちに 又 総辞職になる つなぎの内閣と見て

    おって、 すでに、次の内閣のことを考えておる。


イメージ 8


       
          【 山本 権兵衛 総理大臣の 娘婿 財部 彪 海軍大将 】



    海軍は、次は、又、 財部を海軍大臣にするらしい、 そこで、陸軍大臣は、

    宇垣、 貴様が 陸軍大臣になれ、 我輩が推挙してやる。」 と語ると、

    宇垣 陸軍次官は、 「陸軍次官をわずか2ヶ月程度して、 次は、陸軍大臣

    をするのでありますか。」 と、キツネにつままれた顔をしたのでした。



   【 明日に続く。】