第1482回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1481話 われ陸軍を卒業するの事。 2016年4月1日金曜日の投稿です。
この言葉に 宇垣 一成 陸軍次官は、びっくりした表情で、田中 陸相を
見つめたのです。
当時の話ですが、陸軍士官学校の卒業生でも、陸軍大佐になって、どこかの
連隊長になって、定年退職、 つまり、予備役にされる人が多かった当時、
陸軍中将にまで進級し、 故郷の岡山の連隊だけでなく、 鳥取、兵庫の
姫路の連隊を統括する、姫路第10師団長となり、 満足していた、宇垣
に就任し、 びっくりしていたところに、 なんと、3ヶ月目に、今度は、陸軍
大臣をやれと言われて、びっくりしたわけです。
当時、陸軍内には 陸軍大将で、陸軍大臣になりたい人はたくさんいたのです。
それらの人をさしおいて、陸軍中将の それも、学校を出ていない、宇垣さんが
大臣になると言うと、 不平不満が噴出するに違いないのですが、田中 義一
陸軍大将の鶴の一声で、 ホップ、ステップ、ジャンプ したわけです。
【 長州派の実力者 田中 義一 陸軍大将 】
「 宇垣、 貴様の陸軍大臣は、あくまでも、我輩の名代と考えよ、よいな、
我輩は、陸軍を卒業し、 前前の内閣総理大臣 髙橋 是清 議員と同盟を
財宝と、コルチャーク 提督の 隠し資金を 東亜経済研究所に入れて運用し、
その資金で、 与党 政友会を買収し、 1つにまとめて、 海軍の山本
権兵衛と、よしみを通じ、 我輩に協力させ、 この大日本帝国を思うが
としてここを固めてもらいたい。」 と、こんな話を語ったそうです。
甘糟事件で、逮捕され、 裁判で長期刑を言い渡され、千葉刑務所に
収監された、甘糟 憲兵大尉は、 刑務所内で、フランス語を研修する
と、気づかれないように千葉刑務所を密かに出てフランスに官費留学し、
影の支配者と言われる程度の力を持つのですが、 田中 義一陸軍
大将の 威光が随分働いていたのです。
【 田中 義一 著 壮丁読本 】
欧米から、田中 ドクトリン と呼ばれ、長期的な大日本帝国の将来像
を語った壮丁読本という 本の中で示された計画は、 陸軍 統制派の
バイブルとなり、 大東亜共栄圏構想の元となり、それを進めていった
のは、永山 鉄山 軍務局長 そして 死後、引き継いだのは 東條 英機
内閣総理大臣であったのです。
大正13年1月 いよいよ 田中 義一 陸軍大将が天下取りに
動き出したのです。
そして、 その御輿を担いだのは、 与党 政友会の3派の中の
1派の 髙橋 是清 元総理大臣のグループであったのです。
【 明日に続く。】