第1479回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1478話 貞明皇后様の事。 2016年4月7日 木曜日の投稿です。





イメージ 1



    【 貞明皇后【ていめいこうごう】様 こと、 九条 節子 【さだこ】 様 】




イメージ 10


             
                     【  大正天皇 陛下 】


   私が海軍兵学校の1号生徒の頃の 天皇陛下は、脳の病で、記憶障害、

  現在で言う、若年性痴呆症の様な症状で、 静岡県の沼津御用邸で療養

  されていて、皇室を取り仕切っていたのは、貞明皇后様【 ていめいこうごう】

  様でありました。

  戦後の現在 人々から忘れ去られ知る人はごくわずかですが、ずいぶん

  しっかりした人物でありました。

  どのような人であったかと言うと、


    「 立場の弱い人の立場で物事を考えて、日々、動いていく。」

  そういう お優しい人であったのです。



イメージ 2
 


                   【 孤児院を訪問された 貞明皇后様 】



         特に、 知的障害者の自立支援に積極的に動かれ、

        恩師の 石井 筆子 さんが経営する、障害者施設なとにも

        たびたび、ご支援をされていたのです。


イメージ 3


          【 久邇宮 家に婚約の破談を迫った、 山縣有朋 公 】



    当時、山縣有朋公が、「 薩摩の島津家には、色盲の遺伝的欠陥があって、

    久邇宮 良子 には、 悪い血が流れているので、 おみゃーのほうから

    この縁談、 ことわるようにせぃ。」 と、 良子【 ながこ 】様の父親の

    久邇宮 邦彦王に 因縁をつけて強談に及んだのです。



イメージ 4




        当時の日本の政界、軍人の実力者で、長州閥という派閥を造って

        君臨する、山縣有朋公から、 「婚約を破棄せよ。」 と、じわじわ

        圧力かけられた、久邇宮家は、暗い重苦しい雰囲気となり、邦彦王

        様は、 貞明 皇后様に、事情を訴えて、 その話は、 婚約相手の

        皇太子の 裕仁殿下の知る所となったのです。




イメージ 5



      障害者の保護活動などに尽力されていた貞明 皇后様に、 「 色盲

     遺伝が 薩摩の島津家には存在し、 皇室に、 そのような汚い汚れた

     血が混じるのは良くない。」などと言って、 婚約を破談を迫っているという

     話を聞かれた、皇后様は、「まぁーー なんと、おろかな。」と申されて、

     後任の宮内大臣 牧野 伸顕 公に 相談されたのです。





イメージ 6



 牧野 宮内大臣は、 薩摩の生まれで、 島津家 家臣、暗殺された 大蔵卿 

 大久保 利通 公の次男で、牧野家に養子に入り、名を 伸顕と改め、 周囲

 から「 しんけんさん。」 と呼ばれる 知恵者であったのです。

 

イメージ 7
     



     牧野 宮内大臣に、山縣 有朋公のお話が伝わると、 西園寺 公望 元

    内閣総理大臣も、 皇室の立場で、 婚約を支持を表明し、 当時の

    原 敬 内閣総理大臣も、調整に動き出したのです。




イメージ 8
 


           【 当時の皇太子  東宮 裕仁殿下 後の昭和天皇 】


    当時を知る人の話では、 東宮 裕仁殿下は、 婚約破談の話しに、多いに

    気分を害され、 牧野 宮内大臣に、「 婚約の事で 政争の火種にならぬ

    ように。」 と、 心配されることになったのです。 




イメージ 9


           【 若い頃の久邇宮 良子【 くにのみや ながこ】 様  】



  このような経緯で、山縣 有朋公と、その派閥に属する軍人、政治家、官僚

    
  対、原  敬 内閣総理大臣、 西園寺 公望 元総理、 牧野 伸顕 宮内大臣

  との間で、 皇太子殿下の婚約のことで、 いろんな事が起こっていくのでした。


  【 明日に続く。】