第1482回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1481話 共益社の事。 2016年4月10日日曜日の投稿です。





  
イメージ 1




    戦後の現在 人々から忘れ去られているのですが、 山縣 有朋 公は、

 西原 亀三 という人を代表者にして、 まず朝鮮半島京城 【現在のソウル】

 に共益社という、貿易会社を設立するのです。

 この会社、 実質経営者は、山縣有朋公で、 西原氏が番頭であったのです。



イメージ 2



               【  共益社の社長 西原 亀三 氏 】


    戦後の現在は、 紙幣を印刷しているのは 日本銀行だけですが、当時は

   三カ所あって、 日本銀行、 台湾銀行、 朝鮮銀行であったのです。

   日本銀行は大蔵省の監査が厳しいので、 遠く離れた 台湾銀行と、朝鮮銀行

   で 隠密に 紙幣を印刷し、 2億数千万円、 現在の貨幣価値で、約20兆円

   近い金を印刷して、 その金を 共益社に入れて、 西原 亀三氏を通して

   当時の 北京政府 段 棋端 1派に 担保も取らずに融資し、 その利息を

   共益社に入れて、秘密資金を作り 使用していたことが、世間に露見したのです。



 

イメージ 3




   どうしてこのような事になっていったかというと、 その根本たる原因は、

  軍人が、明治憲法下では、内閣総理大臣の統帥の下にあらず、天皇陛下

  直接の軍隊であったのです。

  このような事から、何かにつけて、「 天皇陛下の直参。」 と称して、内閣の

  言う事を聞こうとせず、 反発し、 独自の行動をとっていき、 また 武力を

  保持していたので、政治家も手出しが出来なかったのです。

  そして、 どんどん暴走していき、 結果、 当時の国家予算の五分の一程度が

  山縣有朋公らによって、 戻ってこなくなっていたのです。



イメージ 4


 
             【 在任中病死した 寺内 正毅 内閣総理大臣 】


     大隈重信内閣を崩壊させて 山縣有朋公が作った 寺内内閣の当時

    これらの行為が行われたのですが、 当時の寺内総理は 他界してこの世の

    人ではあらず、 当時 批判は、山縣有朋公に集中することになったのです。



イメージ 5

    

         【 逃亡して 行方しれずになった 北京政府 段 棋瑞 将軍 】


   そして、融資先の北京政府は、内戦で 段 将軍が敗れて 行方不明となり

   融資したお金は、戦費で消えたのか、 どこに行ったのか、わからなくなった

   のです。



イメージ 6
 



    この事件の事を 西原円借款事件、 または、西原借款事件と言います。

    そして、 西原 亀三氏は 大陸に渡ったまま、連絡が取れなくなり、

    原 内閣総理大臣は、 次の一手を打ったのです。

    その次の一手とは、 報道機関で、 これらの情報を宣伝し、世論を味方に

    すると、 帝国議会の議題で、この 西原借款の問題を、野党に頼んで

    追求させたのです。



イメージ 7




       陸軍の山縣有朋公とその周辺は、徐々に 周囲の堀を 原 総理と

      与党 政友会の政治家に埋められて 追い詰められていったのです。


      【 明日に続く。】