第1492回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1491話 イタリー共産党弾圧の事。 2016年4月20日水曜日の投稿です。




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   共産主義という考えは、「 貧困を解消して、みんなで平等に仕事をして、その

  利益を平等に分配して、 社会弱者の救済保護や、食べ物に不自由すること

  ないようにみんなで仕事をして、生産を効率よく計画し、生活の質を改善向上

  させていこう。」という、こんな計画経済の考えが原点であったのです。

    こういう理想を 平和的に、話し合いで実現していこうと言う考えの人達の

  事を、 メンシェビキ 共産主義 勢力と呼びます。



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                 【 エンゲルス 先生 と マルクス 先生 】


 ところが、 元々の原点が、こういう世間から注目を集めそうなタイトルに

 出資金を集めて事業を行なおうとした、マルクス先生の机上の空論であった

 この共産主義と言う学説は、 その後、一人歩きして、どうなっていったかというと、

 

           共産党独裁破壊密告奨励処刑恐怖政治理論




 に突き進んでいったのです。


      宗教を否定し、 寺院の破壊、 聖職者の処刑

      商売を否定し、 商店の破壊  商売人の処刑

      金融を否定し、 銀行の破壊、 金貸し、銀行員の処刑

      学問を否定し、 学校の破壊 教師の処刑

      医療を否定し、 病院 診療所の破壊、  医師の処刑

      などなど 愚かな行為を繰り返していったのです。


 この 共産武力革命主義という考えで、全世界で 3千万人、いや、もっと多く

 の人達が共産党と名称の独裁政府に 殺害されていったのです。

 近年では、 カンボジアの ポルポト政権が、これらの事を実行していき、多くの

 知識人が処刑され、 人々は 奴隷のように作業に従事させられていったことは

 良く知られているところです。



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   共産主義を信じる人達は、話し合いで共産主義が実現するわけがないと

 悟ったのです。

 当時の、皇帝、地主、富豪の商人、教会の悪徳神父達が、 貧困農民の穀物

 取り上げることはしても、 世間に分配などするわけがないと、実感したのです。

 「話し合いで、共産主義を実現するのは、きれい事の机上の空論である。」と

 考え至ったわけです。



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    これらの人達は、ドイツ帝国が送り込んで来た、レーニンなどの煽動に

   踊らされて、 支給された兵器を手に取り、 当時のロシア皇帝や貴族を襲った

   のです。

   当時 ドイツ帝国は、ロシア帝国と戦争をしていて、 ロシア国内で反乱を

   煽動し、 ロシア国内を混乱させることで、戦況を優位に進めようとしていた

   のです。



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   当時、この武力革命によって、共産主義の国家を作っていこうという考えの

  人達のことを、ボルシェビキ 共産主義と言って、 これらの人は、 まず、

  メンシェビキ と呼ばれる 民主派に襲いかかり、 皆殺しにした後、共産党

  ボルシェビキに統一して、今度はどうしたかというと、 武器を持ってなにも罪の

  無い人達に襲いかかっていったのです。



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    神父と言うだけで、宗教は共産主義には必要ない、人民をと惑わす邪教

   決めつけ、 神父をとらえて、形だけの人民裁判を開いて、公開処刑して

   教会を破壊していったのです。



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   そして、これらの共産党武装組織は、 皇帝、貴族、地主、商売人を襲い、

 物資を接収し、 それを食べ尽くすと、 次の地域に移動して、 殺戮を繰り返して

 を繰り返していったのです。


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    指導者のレーニン と言う人は、「 現状のすべての物を破壊して、 富裕層に

    死を与え、 皆殺しにして、 初めて次の共産革命の新しい芽が出て、共産

    主義革命が成功する。」 と唱えて、 これらの煽動に乗った人達が、山賊

    行為を繰り返して、 東欧には混乱した時代が続いていたのです。



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   当時、イタリー王国でも、 多くの人がアドリア海を命からがら 逃げ延びて

  渡ってきた人達が、 ボルシェビキ共産革命の悲劇を伝えてきたのです。



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    ムッソリーニ政権は、共産主義を 略奪と処刑の恐怖政治と決めつけて、

   イタリー王国の中での活動を、 日本同様に 禁止したのです。

   いかなる理由があろうとも、他人の財産を武力で奪うことを禁止したのです。



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    ところがどこの国でも、よく考えずに行動する人達が大勢いて、 ロシアで

   行った 共産革命を イタリー王国でもおこなって、 国王や、貴族、 ローマ

   教会、富裕層を攻撃して 皆殺しにして 労働者だけの国を作ろうという、

   そういうイタリー共産党 武装組織が設立され、 活動を始めていったのです。

   当時、これらの 非合法組織は、テロリストのように、商店や、地主の家、

   教会などを襲いだしたのです。



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    このような 時代の流れに対して、 ローマ教会や、イタリー王国の皇帝や

   貴族、 軍部、 裕福な商人達は、イタリー王国に共産革命が起きたら

   自分達が 皆殺しになると考えて、 特にローマ教会などは、ムッソリーニ

   政権支持を表明し、 ムッソリーニ政権を支援していったのです。

   

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    対岸の ウクライナ、ロシアでは、共産党によって、多くの人が殺害され

    当時、 逃げてきた人達が、その話を伝えると、 ヨーロッパの人達は

    おびえたわけです。


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     結局、初期の共産革命は、略奪で集めた物資を消費して、 さらに革命を

    広げると称して、 どんどんイナゴの群のように、 山賊行為を繰り返し、

    兵士が少なくなると、村々から 無理矢理、村の男達を 兵士にして、

    勢力を拡大していき、 途中で逃げる 農民の兵士には、 捕らえて、 

    公開処刑を行って、「 脱走すると 処刑だ。」と見せしめにして、 部隊が

    空中分解しないように 引き締めていたのです。



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   このような訳で、 共産革命は、 殺人 略奪行為で、社会を混乱させる

  非合法な物で、 共産主義とは 表向きは労働者の国といいながら、実際は


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  密告奨励、農産物を農民からすべて取り上げ、 共産党幹部がよい暮らしを

  するだけで、 地方の農民は、 飢えに苦しんで、多くの人が死んでいったの

  です。

  なにしろ、豊作であっても、 すべては共産党の物ですと言 って、穀物

  持って行ってしまい、肝心の配給が、モスクワから無い訳ですから、 みんな

 


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  食べ物に困り、穴を掘って、 自分達の食べる量の穀物を隠していると、

 共産党の秘密警察が密告を奨励し、村にやって来て、隠していた犯人は見せし

 めで、村の広場で処刑され、 穀物はすべて没収されていくわけですから、ひどい

 話であったのです。 

 当時、この共産党の秘密警察の事を チェッカー と呼んだのです。

 どうしても、 10人が生産した物を、モスクワの共産党本部に集めて 30人に

 分配するとなると、 量が少なくなり、 当時の共産党政府は、赤軍という

 戦争をする軍隊に、優先的に物資を回していたので、 すべての農民には

 食糧配給が出来なかったのです。



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   そのため、ウクライナや、ロシア国内の農村では、飢饉が発生し、多くの

   飢え死にする人が たくさん出ていったのです。

   そして、これらの農民が 一揆を起こすと、 赤軍という 共産党の軍隊に

   皆殺しにされていったのです。




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   そのような、本当の共産主義社会の実態を知らずに、 考えの浅い イタリー

   王国の共産主義者が、労働者の平等な国を作るために、 富裕層を 武力

   討伐しようと、イタリー各地で、暴動を起こしていったのです。


    【 明日に続く。】