第1493回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1492話 ファシストの原点の事。  2016年4月21日木曜日の投稿です。





  日本の大正時代後半、 日本も同様であったのですが、 王様、貴族、などの

 特権階級を廃して、 庶民、つまり 労働者中心の国家を作っていこうという

 そういう運動が世界各地のいろんな場所で発生していったのです。


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  これらの運動が、 潰されていくことになるのですが、ロシア帝国の共産革命が

 成功して、 これらの共産革命が潰されていった原因というのは、 武器や弾薬

 が皆無であったと言う事です。

 ロシアの共産革命は、 初期の段階で、フィンランド経由で、 大量の武器弾薬が

 ドイツ帝国の工作機関によって ロシア国内に持ち込まれ、 共産主義の宣伝、

 書籍に至るまで、ドイツの工作機関が用意して持ち込んでいたのに対し、イタリー

 王国の共産党は、 そういう後楯や、武器弾薬の支援がなく、ナイフや、 棒

 程度の貧弱な武器しかなく、 活動資金も乏しかったのです。




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   当時、もし イギリスの工作機関か、ロシアの工作機関が、海路 イタリー共産

党に 武器弾薬を供給していたとしたら、 イタリー王国は、 共産主義国家になって

いたかもしれません。

おそらく、 ロシア革命も、ドイツ帝国が 武器弾薬その他のてこ入れを行って

いなかったら、 共産党武装蜂起は、 ロシア帝国陸軍に潰されていたでしょう。



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  当時 イタリー王国の政権を握っていた ベニート ムッソリーニ先生は、共産党

を危険思想として弾圧し、 どんどん逮捕して投獄していったのです。

 それから、 暴力団のミリュー【 マフィアの事】が、市民から みかじめ料を徴収

することを禁止し、 これらの勢力とも対立していったのです。

 ムッソリーニ政権の 前、 前々、 さらにその前の内閣は、 ミリュー【マフィアの事】

 の親分が 首相や、大臣をしていて、 当時議会のドン、 闇社会のドンとして

 君臨していたのです。

 それから、警察署なども、暴力団の傘下の警察署が多数あって、 自治体の

市長なども、 ミリュー【 マフィアの事】の構成員であったりと、 悪の世界は、

イタリー王国に根を張っていて、  これらの勢力とも対立していったのです。



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    これらの共産党勢力や、イタリー王国の闇の支配者達と、その利権に

  根を張る人達と対決していったのは、 警察でも、軍隊でもなく、 退役軍人の

  会の会員の 元兵士や、下士官達だったのです。

  

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   彼等は、 無収入でしたが、自主的にムッソリーニ先生の世直しに参加し、

   初期の頃は、イタリー戦闘団 ファッシー、 そして、 その後 ファシスト と

   呼ばれていったのです。

    地域の市長や、村長や、 警察署の署長、警官までが、暴力団の傘下で

   殺人事件があっても、知らぬ顔をして、 警官が 麻薬の販売の元締めを

   しているような 当時の社会に、 世直しを行おうと、 彼等は立ち上がったの

   です。



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   そして、 行動には同調しなかったものの、当時のイタリー王国の陸軍の

 幹部は、 ファシスト支持を表明し、 ローマ教会も、 共産主義になったら

 自らが滅んでしまうと考えて、 ファシスト支持を表明し、 イタリー王国の国王も、

 

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  そして、その周囲の 貴族達も、 ムッソリーニ先生の ファシスト党を支持して

  いったのです。


   このような事から、 戦後のイタリアの前の イタリー王国時代は、 闇社会の

  暴力団と その一連の一家の構成員達と、 共産主義者、 そして、ムッソリーニ

  先生達の社会の構造改革に反対する そう言う人達との対立構図になって行った

  のです。

  ファシスト と言うのは、 初期の当時は、 あくまでも世直しに参加した、

  退役軍人の人達の 総称であったのです。



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  当時の市民や、 退役軍人や、商人などの庶民が、 ムッソリーニ先生の

 ファシスト党を支持していたかというと、 暴力団を排除し、 教育改革を行い、

 身分差別をなくし、生活を改善しようと 当時経済改革に取り組んでいたことに

 同調したからです。


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  庶民からすれば、毎週 金を集金しに来る 暴力団のミリューの一団が

  消えてくれれば、 随分助かったわけです。

  とにかく、 彼等に逆らうと、殴る蹴るの暴行を受けて、ひどい場合には

  殺害されて、 ひどい目にあうことになったのです。

  彼等が頼ったのは、 市役所でもなく、警察署でもなく、 退役軍人の会

  ファシストであったのです。
 


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   ムッソリーニ先生の政権は、生活苦で 出産した子供を土の中に入れて

  埋めて殺したり、 人に売り渡してしまう行為を禁止し、 国の予算の中から

  出産奨励金というのを作って、 ご婦人を支援していったのです。

  これが、数年後、 人口が減少していたのが、 増加に転じる起爆剤になって

  行ったのです。


  
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    軍隊での 集団行動を 学校の中に取り入れていき、 みんなで 1つの

    事を行う、 そして 協調性を備えるように、 イタリーの生徒の意識改革を

    行って行ったのです。



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    そして、 何事も 自信をもって、物事を行って進めていく、 そういう教育

    を推進して行ったのです。

     それには どうしたら1番 良いかーーー、 考えに、考えてあげくの結論が、

      
       「  学校での生徒の スポーツの奨励。」  であったのです。 




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   女子も男子も スポーツをすることで、上手、下手は別にして、基礎体力を

   つける、そうすることで、 別の事に取り組む時にも、 自信が出来て、積極的

   に物事に取り組んでいけると、結論づけて、 学校でのスポーツに 国として

   とんどん 教育の現場の教員に対して、 奨励していったのです。

   これらの事は、ムッソリーニ先生が殺されてから、後の世で、随分たってから、

   見直されて、評価されていくことになるのです。





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   ファシスト と言うと、悪魔や、ごろつきなどの良いイメージがないですが、

  実は、 フランス語の教員で、 教職員組合のイタリー社会党の元党員、 陸軍

  軍曹であった、ベニート ムッソリーニ先生が、理想の教育を実現するために、

  命をかけて取り組んでいった、政治改革に 同調して、 暴力団共産党員と

  命をかけて、渡り合った 退役軍人の会の 面々の人達のことであったのです。



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 人間、 貴族の子供も、庶民の子供も、 生まれると 均しく出発点は0で、

 学校で、親の身分や、お金の有る無しで、差別されて 待遇が違っていた生徒の

 身分社会を撤廃し、 みんな 平等に、 子供を労働から解放して、 安心して

 勉強できる そういう教育現場をめざして、 立ち上がっていったのです。

 まじめに、コツコツ 努力した生徒が、評価され、 さらに進んでいける

 学校を作っていこうとしていたのです。



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   これらの人達は、ムッソリーニ先生のお話を聞いて、 世の中が良くなればと

  と言う事で、 ファシスト党を支持していったのです。

  

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    当時のイタリー王国の人達は、国王が税金を徴収し、 ローマ教会が

    お布施を徴収し、 地主が小作料を徴収し、 暴力組織の ミリューが

    【 マフィアの事】 娑婆代を徴収し、 手元には スズメの涙程度の収入しか

    残らない 当時の状況が少しでもよくなればと思って、 ファシスト党

    支持していったのです。


    【  明日に続く。】