第1509回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1508話 床次 竹二郎衆議院議員の事。 2016年5月8日日曜日の投稿です。





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   1924年 大正13年の1月、 後の昭和天皇、 当時の皇太子 裕仁殿下

   のご成婚の儀の後に起きた政変、 与党 立憲政友会の分裂騒動の中心

   となった人と言うのは、鹿児島県の薩摩閥の 衆議院議員 床次 竹二郎 

   という人でした。


        床 次 竹二郎 と書いて、 とこなみ たけじろう と呼びます。



戦後の現在、人々から忘れ去られ、 どのような人であったか簡単に紹介する

と、東京駅の丸の内口で陸軍が借金を肩代わりして雇った、中岡なる男に暗殺

された、原 敬 元 内閣総理大臣の側近というか、番頭格の1人た゜った人です。



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ずいぶん過激なところもあって、 若い頃は西郷隆盛の私塾に通い、西南戦争

には、 大久保 利通の鹿児島の家に放火し、全焼させ、 その後、随分たった

後、 大蔵官僚となり、ついで、内務官僚となり、 内務省の地方の役人時代に

原 敬 氏と出会い、「 決して、ウソ偽りを言わない人。」 と、評され、以後、

原 敬 さんに引き立てられ、 反面利用され、 手駒になって、原さんに尽くした

行政官僚でした。


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         【  衆議院議員 床次 竹二郎 氏 とこなみ たけじろう 】



 大正13年1月、 床次 衆議院議員の勢力は、鹿児島県選出のすべての

 衆議院議員が自身の配下で、 日本全国の衆議院議員 約140人程度を

 配下に持つ、 与党 立憲政友会の派閥のトップであったのです。

 そして、 自分こそが、原 敬 元内閣総理大臣の後継者と自負し、 当時の

 政友会の総裁 高橋 是清 衆議院議員と 対立関係にあったのです。

 床次 議員から見ると、 高橋是清さんは、海軍が雇った金融族議員で、

 途中から政友会に入ってきた新参者で、 高橋是清 さんという御輿を担ぐ

 橫田 千之助 衆議院議員のグループと対立して、 いつも もめ事が続くと

 いうそういう関係であったのです。



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  当時、鹿児島県出身の、 牧野 伸顕 宮内大臣、 山本 権兵衛 海軍大将

  と床次 竹二郎 衆議院議員は、政界で大きな影響力を持っていて、

  高橋是清 内閣を 総辞職に追い込んだのも、 床次 竹二郎 さんであったと

  言われています。



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 与党 立憲政友会は、高橋是清さんのグループと、 橫田 千之助さんの

 グループ、 床次 竹二郎さんのグループ、 中間派の様子見の議員グループ

 とに、 当時別れていたのです。



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   次の内閣総理大臣をめざす、加藤 高明 貴族院議員は、 岩の目を 床 次

   衆議院議員と考え、 財閥の三菱が 巨額の領収書不要の金銭、つまり弾を

   用意して、 分裂工作を開始していったのです。



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  と言うのが、当時 床次 議員のグループは、次の選挙の資金に困窮して

  いたのです。

  配下の議員の選挙の費用を面倒を見ないと行けない、派閥のトップは、多額の

  資金を集めて、 配下の議員に配っていたのが 当時の実情であったのです。

  約半年後に 衆議院議員の選挙が予定されていて、 関東大震災の影響も

  あって、 金の集まりが悪く、 困っていたところに、 ある人から資金提供の

  話が打診されていったのです。


   【 明日に続く。】