第1510回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1509話 与党分裂の事。 2016年5月9日月曜日の投稿です。





  1922年、大正12年6月から始まった、加藤 友三郎 内閣総理大臣のシベリア

 撤退、 軍縮政治は、 当時の食糧バブルを崩壊させ、 多くの投資家、 食糧

 ブローカー、企業を倒産に追い込み、 陸軍や、海軍の予算で生活していた

 企業を破綻に追い込んでいったのです。

 そして、 それらの企業にお金を融資していた銀行が、融資の回収が出来ず、

 破綻していったのです。


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   そんな どん底の経済で、 多くの人は 当時の政府を怨み、批判し、

  反感を募らせていた最中、 1年後の、 1923年 9月に発生したのが、



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   関東大震災と呼ばれる、 巨大な津波と、地震による自然災害で、 多くの

   約束手形が不渡りとなり、 日本の経済は混乱していったのです。



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          【 薩摩閥の実力者   床次 竹二郎 衆議院議員 】


   関東大震災から3ヶ月後、 これらの出来事で、議員数140人程度を擁する

   与党 立憲政友会 床次 竹二郎議員の派閥では、企業からの献金が少なく、

   半年後に控えた、次期 衆議院議員の選挙で配下の議員への選挙資金の

   配布が滞っていたのです。

   当時の企業は、政治家に献金するどころではなかったというのが、現実で

   あったようです。

   そんな最中、 床次 議員側に、 資金提供の打診が来たのです。



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                【  清浦 奎吾  内閣総理大臣 】


    話の呼びかけ人は、清浦 奎吾 内閣総理大臣 周辺からの 帝国議会での

   協力の要請であったのです。

   当時、 貴族院は、清浦内閣支持で固まっていたのですが、 高橋是清 元総理

   を中心とする衆議院議員のグループは、 清浦内閣を、 衆議院をないがしろ

   にする内閣と決めつけ、 非協力、 早期内閣総辞職を求めると声明を出して

   貴族院側を困惑させていたのでした。

 

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   当時の与党 立憲政友会の中で、 総裁の高橋是清氏が、清浦内閣

  打倒を叫んでいる最中に、 この清浦総理側の話を受けて、 金銭を受け取る

  と、 どうなるかというと、 衆議院の中で、 高橋是清氏らと、 反目して、

  関係の修復は難しくなり、 与党 政友会の事実上の分裂に踏み切る事に

  なって行く事になるのですが、 当時、 床次 議員側は、 これらの話を

  承諾し、 清浦 奎吾 内閣を支持し、 衆議院で 清浦内閣支持の議員を

  取りまとめる約束を受けたのです。

  それだけ、次期衆議院議員の選挙の選挙資金が枯渇していたのです。


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   とういう事かというと、 選挙に使う、お金が必要であったのです。

   なぜかというと、 当時の選挙は、 お金が飛び交う選挙であったのです。

   配下の議員に、選挙費用が配布できなくなると、 派閥の分解を意味してい

   たのです。

   当時は、選挙運動する人に、 礼金を包むのは当たり前で、 食事をふる

   まったり、配下の地方議員に、現金をばらまいて、 票の取りまとめをしたり、

   大変多くの資金を必要としたのです。


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  当時、 床次 議員達も、 この資金の出所が、次の総理をうかがう、加藤議員

  周辺の三菱のお金であることには、気がつかなかったようです。

  このような経緯で、 与党 立憲政友会の議員は、 高橋是清 総裁を中心と

  する清浦内閣不支持派と、 床次 議員らを中心とする、 清浦内閣支持派に

  分裂していったのです。


  【 明日に続く。】