第1531回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1530話 人気が急上昇したヒットラーの事。2016年6月2日木曜日の投稿です。
神 首席参謀のお話では、 大正13年1924年3月初旬、ドイツ各地の新聞が
高く評価していき、 特にご婦人方に人気が急上昇していったようです。
「 指導者は、機関銃の銃口を突きつけられても、たじろいではならぬ。」
「 総統の世の知らぬ場所での出来事についても、総統の世ひとりが責任を
取り、 遠くから馳せ参じてくれた他の愛國者や党員には罪を問わないで
ほしい。」 という、セリフが新聞で紹介されると、 いさぎのよい、ドイツ騎士道
精神を絵に描いたような指導者と言う事で、 みんなが拍手喝采していったの
です。
そして、 ヒットラーの記事を書くと、新聞がよく売れるようになり、新聞記者
達は、競って ヒットラーの法廷での発言を記事にしていったのです。
このような話が新聞で伝えられると、 隠れていた 国家社会主義ドイツ労働者
をひと目見ようと、集まっていったのです。
それから、 ヒットラーの階級も、当時の庶民には親近感を持たれたようです。
と言うのが、 将官や佐官、尉官などの将校であったとしたら、 そうは感じなかった
のでしょうが、 伍長というと、下士官で、 自分達と同じ階層の出身と言う事で、
同情する男性市民が多かったようです。
自分も、前線で戦い、 ヒットラーも前線で戦って、鉄十字章をもらったらしい
と、こう新聞記事を読んだり、近所の人の話を聞くと、 部隊の英雄と感じたよう
です。
特に若い少女達は、 ヒットラーの表の顔だけ見て、 「 男らしい人。」と
言う印象を新聞を見て持ったようで、 ヒットラーの拘置施設や、裁判所の
周辺に ヒットラーをひと目見ようと、外出する少女が多かったそうです。
そして、裁判所の傍聴席の整理券を求める傍聴者が急増していったのです。
いよいよ、 アドルフヒットラーの 申し立てが始まろうとしていたのでした。
【 明日に続く。】